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Amulet

切ったばかりの皮膚を、大切にできない。ある専門家は言った、「これからもお世話になるかもしれない皮膚だから、いたわって処置してあげてください」と。その通りだと思う。その記述を読んで、私の廃れた心はじんわりと温まった。けれど、それができない。血と痛みで冴えた頭は、今度は止血作業に疲れて、よろよろと洗面台へと歩いていく。水道水で適当に固まった血を洗い流して、キッチンペーパーで水気をとって、雑にガーゼを当てて終わり。何もしたくない。して、あげたくない。こんなにも混乱して可哀想な私の心を、できるだけそのままの形に残しておきたい。消えないでほしい。けれど、見せたくない。昨日刻んだ腕を誰かに見せて、つらかったねと言ってほしくて始めたことなのに。見られるのが怖いのだ。ぎょっとされるのが、色々考えさせてしまうのが、私がかつて馬鹿にしていた「メンヘラ」だと思われるのが。いつでも私は、世界に「適当な聞き手」として存在していたい。そういう存在でなくなるのが、こわい。平気でない私を見せたら、気軽な私は消えてしまう。けれど、当たり前に、平気ではないときも含め「私」なのだ。全部ひっくるめて解って、それでも私の目を見つめてくれること。それが愛情なのだろう。あなたが私に抱いてくれているのが、愛情だといいな。いや、それは自己中心的すぎる。私はまだ、恋をしているみたいだ。兎に角、私はこの放っておかれた傷跡のことは、いたわってあげられるのだ。こんなにも耐えたと。だから、縫合が必要な深さまで、刃を食い込ませてしまうのだ。そしてまた、適切な処置をしない。赤い寄生虫が何匹か這っているように見える腕の内側を、一日に一回は意味もなく見つめる。自分と向き合い続けて行き着いた「私」を、ときどき忘れてしまう。平気ではない私は、未来の「私」をいたわるために、苦しさと拠り所を刻む。タトゥーもピアスも金髪も後ろ指を指されるなら、隠しているこれも、本当はどうだっていいのかもしれない。  

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