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適宜

中学2年生のとき、「何故私は必死になってテストで良い点を取ろうとしているのか?」という疑問を抱いた。私の自問自答地獄が始まったのはそこからである。変な疑問を抱く子どもの頃からの癖は、恐らく家庭環境によるものと思われる。私の父親(とも本当は見なしたくない人)は、モラルも知性も無くて、外面だけは良い人だった。虐待された訳ではないが、思い返せば書く気にもなれないようなことをされていた。いわば性的マルトリートメント(不適切養育)である。小学生の頃から、私は自分のことを醜いと思い始めた。人生をやり直したかった。汚い過去と歪な人格を持つ自分を恥ずかしく思った。何故この人のもとに生まれてしまったのだろうと考えた。母親が大失恋の後周りを安心させるためにお見合いで出会った父親とスピード婚をしたということなので、二人の間に愛は元々無いに等しかった。母親はどうしても子どもが欲しかった。長い不妊治療の末、私を授かった。高校二年生になった私はあらゆる苦しみに理由を求め、母親に「なんで私を生んだの?私は別に生まれてきたくなかった」と言った。生まれてこなければ苦しまずに済んだのに。ある独裁者が言った、「死が全てを解決する。人間が存在しなければ、問題も存在しないのだ。」という言葉に、私は深く共感した。人間の存在自体が全ての苦しみの源である。出産が、子育てがとか、不妊治療だとか、そういう話題を耳にするのが苦痛だった。母親の返答は、「ごめんね。私は子どもが欲しかった。生まれてきたくないなんて生まれる前に言える子は、いないんだよ」というものだった。母親はなんの欲もない人だ。努力をせず、何も目指さず、自分が生まれ持った才能の限りで進学し、就職し、仲間と遊んだ。そんな彼女には無償の愛を注げる恋人がいて、子どもなんて要らないと思っていたが、結局別れた。その後母親が唯一強く願ったのが子どもを生むことだった。

しばしば話の流れで哲学的な論争を繰り広げることがあるが、母親は至極当たり前だという顔をして難しいことを言うのだ。「自分は自分として生まれたんだから、他人と比べて何がしたいの?自分のことを好きとか嫌いとか思ったことがない、自分は評価する対象じゃない」「はひめに言われるまで、そんな難しいことを考えながら生きている人がいるなんて知らなかった」それは世の中に五万とある(私含め)自意識過剰な人々が散々な自己否定の末行き着いた自己肯定論ではない。もはや動物だ。人間以外の動物が持つ無意識を文字化したようなことを平然と言う。私は羨ましく思った。卑下も誇示もせず、ただ生を享受するだけの人生を歩みたかった。そう思って私は、そう生きれるような考え方を模索した。極端な卑下はむしろ誇示であると学んだ。それまでは自分の性格が嫌いだ、顔が嫌いだと泣き喚いて、家中の鏡を全部捨てて回ったりしていたのだ。

色々書いたが、結局私は思い通りにならない心身を持ちながらも生きていたい。人生に価値なんて無いからこそ、そう思うのだ。何度死にたくなっても、きっとまたいつか生きたいと思う日が来るだろう。耐え忍び、解放された暁には好きにしよう。皆さん適宜生きましょう。

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