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一年前

闘病垢を始めてから一年が経った。本当に、長いような、短いような。色々あったけど、あまりにも寝ている時間が多すぎて何が何だかよくわかっていない。一年前は何をしていただろうか。学校にはほとんど行けていなかった気がする。学校の最寄り駅に着いたはいいものの歩く気力も体力もなく、母親に「迎えきて」とLINEするのは酷く惨めだった。情けなかった。喪服みたいなかわいくない制服を着て、ホームのイスに座って泣きながら帰りの電車を待った。心身ともに壊れ、当たり前のことを当たり前にできなくなった。そのうえ当時は自分が発達障害である可能性など一ミリも考えたことがなかった。自分を責めすぎていたと思う。

今振り返ると地獄だ。けれども、黒い制服を着て写真に写る自分を見ると懐かしく、少し泣きたくなる。大好きな友達と過ごす高校生活を自分から手放したという事実が、たまにとてつもなく悲しい。どうにかして学校に居続けることができたのではないかということは、今でもときどき考える。下を向いてひたすら逃げ出したいのと動悸を耐えて座り続け、単位をとることもできたはずだ。体調も精神状態も運良く好転して、もっと充実した生活を送れていたのかもしれない。いや、本当はそんな訳ないこと自分が一番わかっている。学校に残っていたら間違いなくもっとおかしくなっていた。だから後悔はしていない。この経験も、いつか役に立つ。

転学するかしないか決めあぐねていた私の背中を押してくれたのは、高校に入ってから部活で出来た親友だった(私はリアルの友達が二人しかおらず、二人とも親友だ)。彼女と二人きりでいるときは、お互いよく死にたいと口にした。けれどもせっかく生きてるから、とより良く生きようとしているところも私たちは似ていた。彼女と繋がっているアカウントで転学しようか迷ってる、とツイートしたあと、こんなメッセージが来た。

「私としては本当にはひめちゃんと一緒に高校生活送りたいし、 一緒に卒業したい。
でもそれって完全に私の我儘だし、 はひめちゃんの気持ち全然考えられてないなって反省した。 だから、 私とか部のみんなの事は考え過ぎないで、自分の心と身体を大切にして欲しい。 他人のことを大切にしすぎちゃう貴方が凄く心配。はひめちゃんが今辛い思いしてるのは凄く悲しいし、すっごく頑張ってるのは重々伝わってる。
はひめちゃんの幸せが、 私の一番の幸福だよ。自分のこと大切にしてね」

読んでいる最中から涙が止まらなくて、自分のことを一生懸命考えてくれる人がいることが嬉しくて、それと同時にこんな友達がいながらずっと沈んだ状態から抜け出せない自分が腹立たしくて、申し訳なかった。そして、大好き、と思った。

結局周りからどう思われるかを一番気にしていたことに気づき、自分を大切にしてという言葉通りの選択をした。その親友とは転学後もときどき会っていたが、この前会ったとき受験が終わるまでは会わないという約束をした。こんなに長い間会わないなんて漫画みたいだねと話した。そして大人になったら月一で遊ぼうと言ってくれた。勉強頑張ろう、と思った。修学旅行も体育祭もない高校生活だけど、こういうのが青春だと思いたい。

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