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今にも消えそうだった自分を支えてくれた言葉【吉本隆明 初期詩集】

ぼくが真実を口にすると 
ほとんど全世界を凍らせるだろう
という妄想によつて
ぼくは廃人であるさうだ


吉本隆明 転位のための十編 廃人の歌
の一節だ。

 吉本隆明が戦後の思想会に与えた影響は大きい。団塊の世代の作家達の本を読みあさっていたころ、その作家達が言及していたのが吉本隆明小林秀雄などの書籍や思想についてだった。
 そのころ、自意識の塊であったような自分は、この難解な思想や社会や自分のありかたについて、自分の問題を自分がその渦中にいるかのように扱うことでギリギリの自意識を保っていたように思う。
 なぜそのような精神状態に陥ってしまったのか、説明するのは難しいが、その頃のわたしは、まるで、底の見えない崖の淵に立ち、その淵にそって横歩きしているような感覚であった。
 気を抜けば自分の身体は人形のように、谷の底に吸い込まれていくであろう。そんな、自意識過剰更にMAXな時に出会ったのが、上の一節だ。

 その頃のはやりの歌の歌詞にも、友人の助言にも、親のこごとにも、動かされなかった自分の心の奥底に隠していた心象を見事に射抜かれ、安堵と興奮になんども頭の中でその一節を反芻したことを覚えている。
 ”ことば”が人を救うことは往々にしてある。

 肉体的、精神的極限の世界で拾い上げた”ことば”は、その時の心象風景として、いつまでも持ち続けていたいと思う。
 そのときの体験が今の自分を支えている。そう思う。

 あとで気づいたことだが、自分の抱えている問題はもっと単純で簡単なものであった。時代も思想の哲学もハッキリ言えば自分とはそうそう関係ないところで起こっている。ただ、その頃の自分には気づくことが出来なかった。

 人の営みは、小さな気づきから、小さな一歩の積み重ねで出来ている。その気づきが、友人がなんのきなしに発した一言であろうと、有名な思想家が発した言葉であろうと、それが、自分の次の一歩を踏み出すきっかけになるのであれば、それは、自分にとっては等価であり、貴重なものだ。

 大切なのは、あなたが今ここにいること、そして、そこからまた違う自分を見つけだせる勇気を持てること、それを受け入れる心を持てること。

 世界は思っているよりも単純にできている。





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