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太陽に焼かれて殺されたダニの香りの芳香剤を売れ 第39.8話 恋する純損益

浅荷はモールの暗いテナントにいた俺を引きずり出した。顔を見た。彼女は、明らかに走り回って疲れた様子で、息を切らせながら俺を見つめていた。

「……やっと見つけた。いったい何してた?こんなとこで」

彼女の言葉には安堵と怒りが交じっていた。怒り……怒りは浅荷に似合わない気がする。浅荷は怒ったりするのだろうか?わからない。怒るいかるというよりは、憤るという見え方の方があっているような気がする。

ともあれ、憤っても当然だろう。俺が勝手にいなくなり、彼女をモール中走り回らせたんだから。その疲労感が伝わってきた瞬間、申し訳なさで胸が締め付けられる思いだった。

「ごめん、本当にごめん……浅荷がこんなに苦労して探してくれるなんて思わなかった」

俺は頭を下げ、必死で謝罪の言葉を並べた。しかし浅荷は何か言いたげに眉を寄せながら、ただ俺をじっと見つめていた。

「いや、それはいいんだけど……で、結局何してたの?」

「あ、いや、ちょっと、ここなんなんだろうと思って……その……」

言い訳にもならない言葉を口にした瞬間、浅荷がやれやれとため息をつくのが聞こえた。ああ、本当に俺はどうしようもないやつだ。そんな俺を探して疲れてしまった浅荷の姿を見ていると、申し訳なさだけじゃ済まない。彼女に少しでも役に立つことを伝えなければならない。俺は使命感でいっぱいだ。

その言葉を聞いた時、さらに彼女に負担をかけたことを俺は強く意識した……のだろう。きっと、普段バレー部で鍛えた運動能力を総動員して、あの広いモールを走り回ったのだろう。そして、そんな負担を彼女にかけた俺がここで何もしないでいるわけにはいかない。何か役に立つ情報を伝えなければ、と咄嗟に思った……のだろう。

「浅荷、聞いてくれ。これだけは言わせてほしいんだが、エナドリにだけは絶対に手を出すなよ!」

「は?」

浅荷の目が一瞬パチパチと瞬きして、完全に困惑しているのがわかった。驚いたように目を丸くした。だが俺は止まらなかった。

「は?……なんで?」

「考えてみてくれ!もしさ、今回のことで浅荷が探し回る途中に疲れ果てて、エナジードリンクを飲んで元気を出そうなんて考えたとするだろ?それがどれだけ危険なことか、きみは知らないだろうけど、俺はちゃんと根拠を持っている」

浅荷は困惑しながら首を傾げたが、俺の勢いを止められるはずもなかった。

「まずエナジードリンクってやつは、カフェインと糖の塊なんだよ。それで元気が出るとか集中力が高まるとか企業はいかにも信憑性のあるように見えるコピーを掲出するが、そんなので騙されるのは子供だけだ。体を無理やり興奮させてるだけなんだ。カフェインの取りすぎは動悸、頭痛、耳鳴り、吐き気、挙げ句の果てにはめまいや不整脈を引き起こすこともある!欧州食品安全機関のガイドラインでは、1日のカフェイン摂取量は体重50kgの人で150mgが安全ラインなんだ」

浅荷はさらに困惑した表情を浮かべた。

「いや、別に飲んでないし……なんでいきなりエナジードリンクの話になるの?」

「でも!バレー部で疲れてるときとか、試合の前とか、仲間が『これ飲むと元気出るよ』って勧めてくることがあるだろ?そのときに飲んでしまったら大変なことになる」

浅荷はぱくっと口をあけ、何かを言いかけてやめたが、俺はその隙も与えずに続けた。

「それに糖分も問題だ!エナジードリンクには1缶あたり30~40gもの砂糖が入ってる。それだけの糖分を摂ったらどうなるか分かるか?余った糖は脂肪として体に蓄えられるんだ。脂肪だぞ!結局、一瞬の元気の代わりに脂肪を増やしてるだけなんだよ!」

「待って待って、ちょっと落ち着いて。なんでそんな話になってる?」

浅荷が戸惑いながら制止しようとするが、俺の頭の中ではもう情報が暴走していた。とにかく伝えなければならない、そんな衝動に駆られていた。

「さらに言えば、カフェインが神経を興奮させる作用で体を動かしてるだけだから、その効果が切れたらどうなるか想像してみろ!疲れが倍増するんだよ!それを繰り返していたら体が悲鳴を上げることになる」

「いや、だから、あたし別に飲んでないし……」

浅荷は困惑しながら手を挙げて止めようとするが、俺は止まらなかった。

「それに、糖が体にどれだけ悪影響を及ぼすか知ってる?余った糖は肝臓に蓄えられて、最終的には中性脂肪になるんだ。血糖値が急上昇して、長期的には糖尿病のリスクだって高まる」

浅荷はやれやれといった表情で肩をすくめた。

「わかったわかった、じゃああたしエナドリ飲まないから。それでいい?」

俺はようやく熱弁を終えた。浅荷の口から出たその言葉に、なんとも言えない安堵感を覚えた。

「そうだ、それでいいんだ。本当にありがとう。エナジードリンクなんて絶対に体に悪いんだからな」

浅荷は少し笑いながら頭を振った。

「なんで急にエナジードリンクの話になったのか、全然わからないけど……まあ、そういうの飲まないから安心してよ」

彼女の言葉に、俺は少しほっとした。そして同時に、自分がいかに話を暴走させたかに気づいて、恥ずかしさがじわじわと押し寄せてきた。

浅荷は半ば強引に俺の肘を引っ張り、さっきの椅子まで連れてきてどさっと腰を下ろし、湖を見つめながら小さく笑った。

「どうした……いや、でもそんなもんか」

その言葉に、俺は少し救われた気がした。

浅荷は肩をすくめた後、さらに深くベンチに腰を落ち着けて、俺の方をじっと見つめた。その視線には、ほんの少しだけ呆れと、しかし不思議な温かさが混ざっているように思えた。

「ねえ、そんなにエナドリに詳しいの、何かあった?さっきのテナントの中で急に知識を身につけた?」

彼女の質問に、俺は一瞬口を開きかけて黙った。確かに、ここまで知識をまくし立てた理由を説明するのは容易じゃない。俺自身、これほど熱くなるつもりはなかったのに、気づけば暴走していた。

「……いや、なんか聞いたことがあってさ。自分でもちょっと気にしすぎたのかもしれない」

浅荷は少し笑ってから、目を細めて湖を見た。

「でもさ、そういう話を聞くと、何が本当に体にいいのか分からなくなるよね。エナジードリンクはダメ、野菜ジュースも注意、スポーツドリンクも控えめに……じゃあ、何飲めばいいの?」
「水とか麦茶とか、カフェインなしの飲み物が一番いいって言われてるよ。あと炭酸水とか」
「炭酸水?なんか味気ないな」
「でも、炭酸水ってカロリーゼロだし、満腹感も出やすい。だから、お腹が空いてるときに間食を防ぐ効果もあるし……」

またもや語り始めそうになる俺を、浅荷は手のひらで制止した。

「わかったわかった。せっかくこうやって座ってるんだから、ちょっとリラックスしよう」

その一言に、俺は少し恥ずかしくなりながらも黙った。確かに、目の前には穏やかな湖が広がり、柔らかな夕陽が水面に反射している。この光景の中で、俺は何を必死にエナジードリンクの悪影響について話していたんだろうか。

「でもさ、あんたがそうやって一生懸命話してるのを見ると、なんか変な安心感があるんだよね」

浅荷がそう言いながら笑った。その笑顔が、俺の胸の中に妙に温かいものを残した。

「安心感?俺のどこにそんな要素があるんだろう」

「いや、なんか……あんたって普段はあんまり気にしない風なのに、こういう話題になると急に真剣になるじゃん。それがちょっと面白いっていうか、逆に信頼できるっていうか」

「……いいことなんだろうか……」

「どうだろうな。でも、少なくとも悪い気はしないよ」

浅荷はまた湖に目を向けた。その横顔を見ながら、俺は自分が何か役に立てたのかもしれないと思い始めていた。

「呆れはしたけど」

……。もちろん、大げさに考えすぎている可能性もあるけど、浅荷が少しでも安心してくれたのなら、それで充分か……。

「それで、いま俺を探してて疲れたりしなかった?」
「ああ、まあ、ちょっと大変だったけど、いい運動にはなったよ」
「……ごめん。本当に」

俺が頭を下げると、浅荷はクスッと笑って肩をすくめた。

「いいって。あたしだって、あんたがどこにいるか心配……気になったんだからさ」

その言葉に、俺は少しだけ救われた気がした。俺を気にかけてくれる人がいる、そのことがこんなにも嬉しいなんて、自分でも驚きだった。

「次は……なんか変なことがありそうだったら電話する」

「それが一番だね。でも、もしまた見つけられなくなったら、エナジードリンクより炭酸水持って走るわ」

浅荷が冗談めかして言うと、俺は苦笑いを浮かべた。前を向いていた気がする横の浅荷が、急にこっちを振り向いた感じがした。

「変なことがあった?」

「あ、ああ」

俺はどう説明すべきなんだろうと思った。まるでわからない。どうすれば……

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中村風景
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