カーソンを解放しろ
なんとカーソンに言わせれば60年前の時点で環境が「オワ」になる予測がついていたらしい。ヘッダ画像をお借りしています。
60年前といえば戦後で人間様がちょずきにちょずきまくってた頃。別にぼくは環境に悪いことする奴=悪という見方は完全にはできないところがあるが、それは人付き合いというものなのだろう。ぼくはこの仮想空間にしかいられないからバーチャルづきあいとでもいえばいいのか。
人間様が地上で最強になったんだから地上は人間様のために使い尽くしていいだろ、と戦後の人々がそうなってしまったことに対して後の時代から避難するのはクソ楽な行為である。そんな調子に乗りまくってた連中の中で「めんどうなことを言い始める人」に躊躇いなくなったカーソンはすごいね。というだけのことなのだろう。
この前天井から蜘蛛が垂れ落ちてきた。また別な時は暗い部屋の窓に蜘蛛が止まっていて、どちらも危うく滅するところだった。片方は子供であり水場にいたから、どのみち少しのミスで自滅してしまうところだった。飛ぶ虫と間違えてやってしまうのはあまりにも簡単なことだ。そしてその後は信じられないぐらいの虫がいる場所にぼくはいた。
ぼくの趣味に山ごもりがある。裏の山に5分間程度行くだけのことだ。走れる場所がそこくらいしかないから。道端で走ると妙な不審者にカテゴリをあてがわれる。するとそのカーソンが愛すべき自然であるはずのなかに蛸焼がぶちまけられていた。おびただしい程の虫がいる空間とはこれだ。ポリティカル・コレクトネス。
蛸焼の棄てられている様を見て、ぼくは特に何も思わなかった。以前のぼくであれば、それらを職の業としてであれ、ごく個人的な意味合いであれ(こっちだったら今でも多少は心が痛むだろうか)、一生懸命なにかを造ろうとした先の造形物としての飯がそんな扱いされたのだとしたらそれだけでカスいな~~~とか思うんだろうが、なにか今のぼくは何も思えなかった。
というのも野生動物に飯を与える奴もいるからであり、そういう連中がいることを知っていると最早どんな飯をぶちまけたって勝手にそいつらが処理するだろとしか思えないのであり、何だったら蛸焼というキーワード的なものを利用して、SNSとかでなんらかの個人情報あぶり出しがしたいやつがいたんじゃね、とすら思えてしまった。ストーカーが集合住宅だの家の前になんか変なものをおいて、それについて検索して、「家の前に●●が置いてあった」という書き込みを当該時間にしている相手の住所を特定するあれだ。
そんなことのためにうちすれられたのであればより情けないとも思える。ぼくにできることはなにもないのだろうか?ガチでないのだろう。
とにかく環境を守らない奴はカスである、の正義の暴力アイテムとしてカーソンが引き合いに出されているように思える。それだけセンス・オブ・ワンダーが評価されまくっているのだろう。
当該説明が載っていたのもそういうメディアである。とにかく政権を批判して(それは重要なことだろうが)、子供の頃から責め苦を食らっている人々の痛みを白日の下に晒し、人種の違い性別の違いによる迫害を片っ端から挙げ、……そいつらが考える正義で満たされた国にならなければならないみたいな偏った思想……といいますかそれ以外の正義の道は示されていないナッジ理論を考えた人も呆れて物が言えない思想でごりごりに頭が偏ってしまっている。政権批判だけ殺ってればいいと思うんだけど……どの連中が政権になったとてやるだろうから。むしろそうであるべきだと思うけど、こういう名前と金を載せるとことかですね。
一時期はこのメディアを批判した当人ですらこう言っている。
その食べ物におびただしい数の虫が集まっていることについて、ぼくは身震いしなかったことに驚いた。自分で自分に驚いた。そしてその後、いわゆる蚊柱みたいなものがしょっちゅう合ったり、単純に羽虫がぼくを食い物と勘違いして追いかけてきたり熊蜂が突っ込んできたりしてもなにか無心になってしまった。ぼくが山ごもりするのと同じように彼女らも山を使いたいのだろう。
カーソンの気持ちもわかるけど、ぼくや虫たいが同じ方向を向かうなんて無理だ。でもその時はぼくも虫もすれ違わないだけで同じ個として生きていたんだけど。一方的にぼくは殺そうとはしなかった。昔はそうではなかった気がする。この気持はなんだろう?単なる諦めか。