井戸の中から
神田駅前で飲んでるサラリーマン。
「今日は嫌なことがあったから…
一本追加しちゃおうかな~」
いつもより酔いが回り、
男性は上機嫌。
お会計を済ませると、
夜風が気持ちいいからと、
歩いて帰ることに。
「あれ?俺んちどこだ?
ここは右?いや左か?
まあいい、真っ直ぐ行こう」
そんな感じで道に迷っていると、
少し開けた場所に出る。
「ここはどこだぁ~?
日比谷公園か?
いやいやそんな歩いてないよ~。
それにここには、
噴水もなければ池もない。
でも代わりに井戸があ~る。
……
井戸?」
そこには今どき見ない、
小さな屋根がかかった、
木の井戸があった。
「こんなのまだあるんだ。
これなんてったっけ…
縄についてる…つ、つれ、つるべ!
よくぞ、思い出した自分!
そう~つるべ!
朝顔に取られるやつだ…これ。
これは地区の共同井戸か?」
すると首筋を舐めるように、
生温かい風が吹き抜け、
男性は身体を強張らせる。
次の瞬間、
周囲の明かりが一斉に消え、
闇に包まれ男性は視界を失う。
「おい!何だよ、急に!
こ、怖くなんか…ないぞぉ~。
でも…出てくる時は…
ひと声…かけて…くれるとぉ…
たすかるなあ~」
すると、
「いちま~い」
こもるような声が、
ちょうど井戸の方から響いてきた。
「な、な、なんだ!」
「にま~い」
「こ、これってまさか!
あの番町皿屋敷!
お、お、お菊か!
ヤ、ヤバいぞ!
これで俺は……ん?
お菊に出遭った人間って、
どうなるんだっけ?
夢に…引きずり込まれる?
チェーンソーで追っかけ回される?
いや、ハサミだっけ?
いや、それはホラー映画だ!
じゃあ…の、呪い?
俺は呪われるのか?!」
「さんま~い」
「これはマズいぞ!
一枚足りな~いまで言い終わったら、
呪われるやつだぞ、きっと!」
そう思い慌てて逃げようとした男性。
すると…
「いっぽ~ん」
さっきの冷たい女性の声ではなく、
幼い子供の声が聞こえてきた。
「にほ~ん」
「ん?
1本、2本?
急にどした?」
「さんぼ~ん」
男性は逃げるのを忘れ、
様子を見ることにした。
すると…
「じゃあ僕も~
いっぽ~ん、にほ~ん♪」
今度は陽気な中年男性の声が響いてきた。
次の瞬間…
「あなた!!
忘れたの!!
お酒は1日1本って約束!
それに今は半分しか飲んじゃダメって、
担当医に言われたんでしょ!」
さっきの女性の声。
「そんな怒らないでよ、お菊。
冗談だって」
「もうダメよ、冗談でも!
あなたこの前の健康診断、
また引っかかったでしょ!
この間、夜中に冷や汗止まらなくて、
大変だったの忘れたの?」
「ごめん。
ちょっと調子に乗りました…」
「ママに心配かけちゃダメなんだよ~。
はい、これ代わりにお水」
「そうだよね。
みんな、ごめん。
パパちゃんとする…約束。
それにここの地下水、
美味しいもんな」
「あなたったら。
家族三人。
みんな元気でいましょう…ず~っと」
「お菊…」
「お腹すいたあ~」
「ごめんごめん。
坊やもお手伝いありがとね。
カレー冷めちゃうね。
じゃあ、
みんなでいただきますしましょう!
いただきます♪」
「いただきます♪」
「いただきます♪」
「おかわりもあるからね」
井戸から響いてくる一家団欒の声。
その前で棒立ちの男性。
プルルルルル
急にスマホが鳴動。
ポチッ
「あ、どうした?
……
そうか、もうそんな時間…ごめん。
……
うん…うん…今から帰る。
……
あのさ…俺…お酒控えるよ。
……
いや…何か…そう思ったんだ。
……
ちなみにうちの晩ご飯ってなに?
……
帰ったら食べようかな…。
……
明日のも美味しいんだけど、
今日食べたい気分なんだ。
……
ママ…
……
いつもありがとね。
……
じゃあ」
暗い夜道を家路へと、
男性は歩き出した。