忘れないで
御年80歳の未来さんと光里さん。
今日も井戸端会議で盛り上がる。
近くて遠い…未来のお話。
【光里】
「ちょっと気になることがあるのぉ」
【未来】
「なあに?」
「最近…
利用者減ったよねぇ」
「そうね」
「どうしてぇ?」
「それはあれよ。
お薬のせいでしょ?」
「お薬ぃ?」
「この間、発売された新薬よ」
「私、それ知らなぁい?」
「私もニュースで見ただけよ。
その薬は認知症の度合いに関係なく、
全ての人に使えるとか」
「全ての人ぉ?」
「今までの薬は、
症状が軽度な人にしか、
効果がなかったのよ。
でも、その新薬は誰にでも使える上に…
認知症の改善に、
かなりの効果があるらしいの」
「ということはぁ…
いなくなった利用者の人たちってぇ、
良くなって自宅に帰ったってことぉ?」
「そういうこと」
「良いことだけどぉ…
施設は色々と大変だぁ~」
「でも、みんながみんな、
良くなるわけじゃないから」
「そうなのぉ?」
「ほら、あそこの高橋のおばあちゃん。
あの人も新薬にしたらしいけど、
まだちょっと薄らボケって感じでしょ?」
「確かにぃ…。
あの人、自分の名前…
言えなかったよねぇ?」
「以前はね。
でも最近、言えるようになったって」
「それは良かったねぇ。
ちょっとでも良くなったら、
家族も喜ぶよねぇ」
「どうかなあ…」
「何、その言い方ぁ。
未来さん何か知ってるのぉ?」
「いえね…
高橋さんの家は、
家族が本人が戻ってくることを、
望んでないらしいのよ」
「そうだったのぉ?
初めて聞いたぁ」
「親子関係が上手くいってない家は、
たくさんあるでしょ?
高橋さんの家も息子さんが、
ちょっと色々あるみたい」
「う~ん。
それだと…
せっかく良くなってもぉ…ねぇ~」
「だからたまにしか、
息子さんも来ないじゃない。
お正月だけでしょ」
「そうだっけぇ。
高橋さんの息子さん…
見たことあったかなぁ…」
「たまにだからね。
面会に来る回数が全てじゃないけど、
その回数は愛情に比例すると、
私は…思うよ。
上の特養に…
毎日来るおじいちゃんわかる?」
「わかるぅ~。
あの杖ついてる人でしょぉ」
「そう。
あの人は寝たきりの奥さんに会いに、
歩いて隣町から来てるらしいのよ」
「そんなとこから、歩いてぇ?」
「自分の健康のためだからって、
言ってるらしいけど…
きっと…違うよね?」
「素敵な…ご夫婦だねぇ」
「あれ?
あれって…噂をすれば、
高橋さんの息子さんじゃない?」
「そうなのぉ?
ゾロゾロといっぱいいるよ」
「ご親戚かしらね?」
ケアマネと、
高橋さんの親近者御一行。
「どうぞ」
「どうも」 「失礼します」 「………」
「高橋さん。
職員の田中です。
息子さんたち来てくれましたよ」
「ん?」
「ほら、ばあちゃん。
久しぶりに妹と岩手のおじさん」
「お母さん、元気?
私のこと、わかる?」
「姉ちゃん、元気そうだな。
何年ぶりだ?」
「どうもどうも。
こんにちわ。
初めまして」
「………」 「………」 「………」
「高橋さん。
見覚えないかな~?」
「ないなあ。
初めてじゃないの?」
「………」 「………」 「………」
「そうかあ。
近くに来たから、
挨拶に寄ってくれたんだって」
「それはそれはご丁寧に」
「行くか」 「…うん」 「…ああ」
「じゃあ、高橋さん。
また後でね」
「はいはい」
「おい。
お前のことも、
分かってないじゃないか」
「認知症だからしょうがないだろ」
「私のことも忘れてるって、
相当ひどいよね」
「じゃあ、みなさん。
高橋さんの施設での状況など、
ご説明しますのでこちらへ」
「ああ…そういうのいいよ。
別に興味ないし」
「俺も聞いてもよく分からないから」
「私も忙しいのでいいです」
「そうですか。
わかりました」
「じゃあ、また」
「よろしくお願いします」
「失礼します」
みんな慌ただしく帰っていった。
「あっという間だったねぇ」
「いつも、あんな感じよ。
でも、見ない顔の人もいたね」
「自分の娘と、弟さんだよねぇ?」
「そうみたいね。
でも…誰も興味なさそうね」
「ああ~。
ケアマネの話も聞かずに、
さっさと帰っちゃったからねぇ」
「違うわよ。
高橋のおばあちゃんがよ」
「ん?
どういうことぉ?」
「きっと…
おばあちゃんの中では、
あの人たちはどうでもいいのよ。
年に1回…
5分もいない息子…
何年も音信不通な娘に弟。
高齢になってくるとね…
断舎離が始まるのよ…頭の中で」
「断捨離ぃ?」
「自分が生きる上で必要なもの。
どうしても…
覚えておかなければいけないもの。
そういうことは頭に残しておくの」
「そういうの…私もあるかもぉ」
「挨拶からしてなってなかったね。
私のことわかる?って。
本人が答えられそうな質問…
してあげればいいのに…
天気とか体調とか…
心配するところが違うのよ」
「わりと多いよねぇ」
「きっと…
あの毎日来るおじいさんも…
大変だけど顔を見せに来るのよ。
おばあさんの中で…
忘れてほしくないから」
「うん……」
部屋から出てきた高橋さん。
近くの職員に声をかける。
「ちょっと」
「どうしました、高橋さん?」
「さっき来た田中さんは?
私、今日、お風呂は何時?」
………
「ね?」