浦野文孝

千葉市在住、古代史を研究するアマチュアです。邪馬台国・ヤマト王権を中心に僕なりの説を紹介します。一部記事は有料です。なお、僕は邪馬台国九州説ではありません(かん違いする人がいるみたいなので念のため)。アイコンは千葉県市原市出身のイノシシ形埴輪、トップ画は吉野ヶ里歴史公園のそば畑

浦野文孝

千葉市在住、古代史を研究するアマチュアです。邪馬台国・ヤマト王権を中心に僕なりの説を紹介します。一部記事は有料です。なお、僕は邪馬台国九州説ではありません(かん違いする人がいるみたいなので念のため)。アイコンは千葉県市原市出身のイノシシ形埴輪、トップ画は吉野ヶ里歴史公園のそば畑

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箸墓古墳は卑弥呼の墓ではない:3つの根拠はいずれも不十分

奈良県桜井市の纏向[まきむく]遺跡にある箸墓[はしはか]古墳は、魏志倭人伝に登場する卑弥呼の墓だと言われることがあります。 ※トップ画像:箸墓古墳(2020年10月撮影) 卑弥呼は239年に中国の魏に使いを送り、247年に魏からの使節を受け入れた頃に死んだことが書かれています。箸墓古墳が卑弥呼の墓なのであれば、3世紀中頃の古墳ということになります。 「箸墓古墳は3世紀中頃」にはどのような根拠があるのでしょうか。意外と知られていないと思います。主な根拠としては、銅鏡を根拠

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    • 三輪山を愛でる:纒向ウォーキング

      今回は奈良県纏向[まきむく]遺跡の徒歩観光コースのレポートです。 纒向学研究センターの論文集『纏向学の最前線』(2022年)の中で、来村[きたむら]多加史さん(阪南大学)が「三輪山の山景を生かした散策の企画」という論文を寄せています((『纏向学の最前線』分割版3、p769-776)。2022/10/31のnoteで紹介しました。 来村さんはガイドとして、何度も纏向遺跡を案内していて、その経験にもとづいた企画の提案をしています。三輪山の眺望ポイント5ヶ所から、様々な山景を楽

      • 邪馬台国九州説・大和説・東遷説:根拠と弱点(中級編)

        邪馬台国問題の入門書としては、僕は『邪馬台国100問勝負』(杉並良太郎+歴史文化100問委員会、出窓社、1999年)がお勧めだと思います。 筆者の杉並さんは作家ですので、特に第2章「魏志倭人伝の読み方」、第3章「邪馬台国の所在地」、第4章「女王卑弥呼の正体」は邪馬台国問題の知識がなくても、わかりやすいです。ただ、この本はやや古く、箸墓古墳の実年代といったテーマは取り上げられていません(歴博の発表は2009年)。第5章「それからの邪馬台国」になると、東遷説に偏った説明になって

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        • 箸墓は300年前後、ホケノ山は270年前後:シンプルな根拠

          箸墓[はしはか]古墳(奈良県桜井市)の実年代は3世紀中頃と言われることが多いです。しかし、3世紀中頃の根拠は意外と知られていないと思います。 邪馬台国近畿説から、中国鏡、三角縁神獣鏡、炭素14年代測定を根拠とした、主に3つの説が出されています。国立歴史民俗博物館(歴博)の炭素14年代の説はメディアなどで引用されることも多いので、聞いたことがある人がいるかもしれません。 どの説もなかなか理解が難しいのですが、僕はそれぞれの説を検証し、いずれも根拠は不十分だということを、20

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          封泥の専門書発刊:『秦帝国と封泥』

          僕は2024年4月26日のnote記事で、邪馬台国問題を解決する決定的証拠は金印ではなく、「封泥」だということを紹介しました。 封泥とは、古代中国で文物を送る時や保管する時に、封印に使われた泥(粘土)のことです(リンク先はトーハクサイト)。封泥に印が捺[お]され、文物が正当なものであることの証明とされました。封泥の使い方は、トーハクのオンライン月例講演会(2021年2月)のYouTubeがわかりやすいです。 上野祥史氏・谷豊信氏らが執筆折しも、このほど、封泥に関する専門書

          封泥の専門書発刊:『秦帝国と封泥』

          画文帯神獣鏡(下):倭の五王が受け取った同型鏡群

          千葉県立中央博のグッドジョブ7/6に千葉県立中央博物館で辻田淳一郎さん(九州大学)の講演がありました。千葉で辻田さんの講演が聴けるとは思っていなかったので感激しました。 同型鏡とは? 講演のタイトルは「同型鏡と5・6世紀の東アジア」でした。 同型鏡というのは、元になる原鏡に粘土を押し当てて鋳型をつくり製作された複製鏡です。押し当てる時に足で踏んだと考えられ、「踏み返し鏡」とも呼ばれます。踏み返しを繰り返して、第3世代、第4世代…の複製鏡がつくられることもあります。

          画文帯神獣鏡(下):倭の五王が受け取った同型鏡群

          Google Map:東田大塚古墳が10万回閲覧

          Google Mapには「地図に載っていない場所を追加」できる機能があります。追加登録を申請するとGoogle Mapで審査があり、認められれば、Google Mapに表示されるようになります。 僕は2022/10/31に奈良県桜井市の東田[ひがいだ]大塚古墳の登録を申請して認められました。そうしたところ、東田大塚古墳の閲覧数が1000件、5万件、10万件の節目節目にGoogle Mapからメールが届くようになりました。 2022/10/31 申請 2022/12/6

          Google Map:東田大塚古墳が10万回閲覧

          画文帯神獣鏡(上):卑弥呼の時代に近畿の中心性はなかった

          古代の遺跡や古墳から出土する銅鏡の中で、画文帯神獣鏡[がもんたい・しんじゅうきょう]は、僕が一番好きな鏡です。 どうして好きかというと、画文帯神獣鏡はわかりやすいからです。外側から4番目に「半円方形帯」と呼ばれる、半円と方形が順番に並ぶ文様があります。これがあれば画文帯神獣鏡だとすぐわかります。ちなみに、「画文帯」は外側から2番目の文様を指します。 画文帯神獣鏡は主に2つの時代の古墳などから出土します。1つは弥生終末期から古墳前期にかけて(3~4世紀)、もう1つは古墳中期

          画文帯神獣鏡(上):卑弥呼の時代に近畿の中心性はなかった

          考古学の論文・書籍は間違いが多すぎないか?

          考古学の論文や書籍には間違いが多いと思います。ここで間違いというのは、以下のようなものを指します。 根拠となる論文やデータを正確に参照していない 本文に整合性がない 誤字脱字 この記事では僕が気づいた間違いを紹介します。 『纏向学の最前線』より(纏向学研究センター、2022年8月):トップ写真 『纏向学の最前線』は纏向学研究センターが10周年記念で、2022年8月に刊行された論文集で、82論文が収録されています。 纏向遺跡出土の犬骨について 宮崎泰史氏(元大阪

          考古学の論文・書籍は間違いが多すぎないか?

          邪馬台国解決の決定的証拠:封泥は見つかるか?

          僕は2024/3/8のnote記事で、邪馬台国問題は現段階では結論は出ないということを書きました。結論は出ないと考える理由は以下のとおりです。 魏志倭人伝は倭国を「遠い南の大国」と誤解した。その背景には西晋王朝への忖度があった。里数・日数・風習・戸数・統治機構・卑弥呼の墓など、内容は誇大で間違いだらけになった 魏志倭人伝からは、どのような遺物・遺構があることがふさわしいかも読み取れない。これまでの考古学的成果では、卑弥呼の都の所在地を示す決定的な証拠は出ていない そのた

          邪馬台国解決の決定的証拠:封泥は見つかるか?

          春成秀爾氏・下垣仁志氏の論文を斬る:『古墳・モニュメントと歴史考古学(何が歴史を動かしたのか3巻)』より

          本書(雄山閣、2023年12月)は、古墳に関する最新の論文25本を収めています。その中から以下の2本を取り上げます。 「箸墓古墳築造の意義」(春成秀爾) 「巨大古墳の被葬者」(下垣仁志) 春成秀爾さん(国立歴史民俗博物館)の論文は問題が多いと感じました。下垣仁志さん(京都大学)の論文はおもしろいのですが、疑問が浮かびました。 歴博の箸墓の年代根拠が不十分であることがより明らかに春成さんは較正結果を理解していない? 春成さんは、歴博が箸墓古墳の築造直後の年代を240~

          春成秀爾氏・下垣仁志氏の論文を斬る:『古墳・モニュメントと歴史考古学(何が歴史を動かしたのか3巻)』より

          千葉市土気地区:縄文の落とし穴のメッカ

          今回は卑弥呼から離れて、僕が住んでいる千葉市緑区の郷土史がテーマです。  JR外房線の土気[とけ]駅南口には、あすみが丘、あすみが丘東という住宅街が広がり、昭和の森という自然公園と接しています。 これらの整備に先立って、1970年代から地域全体にわたって発掘調査が行われました。遺跡群は「土気南遺跡群」「土気東遺跡群」「昭和の森遺跡群」と分けて呼ばれています。残念ながら、すべての遺構は開発され、保存された遺跡も埋め戻されました(昭和の森「荻生道[おぎゅうみち]遺跡」)。いく

          千葉市土気地区:縄文の落とし穴のメッカ

          Nスペ「ヤマト王権 空白の世紀」を見て

          2024/3/24のNスペ「ヤマト王権 空白の世紀」を見ました。特に気になった3点についてコメントします。 トップ写真:奈良県渋谷向山[しぶたにむかいやま]古墳 (2020年10月撮影) ヤマト王権は統一国家だったのか番組では、ヤマト王権を初の統一国家としていました。今回は登場しませんでしたが、福永信哉さん(大阪大学)も、3/5の朝日新聞記者サロンで、櫻井茶臼山古墳の銅鏡の集積から、「ヤマト王権は当初から図抜けた存在だったのではないか」と述べています。 しかし、4世紀後

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          中公ムック『歴史と人物・日本百名墳』「箸墓古墳は卑弥呼の墓か」を読んで

          中公ムック「歴史と人物18」『日本百名墳』の「箸墓古墳は卑弥呼の墓か」を立ち読みしました。僕はX(Twitter)やThreadsで感想を投稿しましたが、noteでも投稿します。 トップ写真:奈良県東田大塚古墳(2020年10月撮影) 想像で語っているのではないか記事の中で、橋本輝彦さん(纏向学研究センター)は、勝山古墳・東田[ひがいだ]大塚古墳が卑弥呼と台与の墓、箸墓古墳はその後の男王の墓、纏向型前方後円墳である石塚古墳・矢塚古墳・ホケノ山古墳は重臣の墓ではないかと述べ

          中公ムック『歴史と人物・日本百名墳』「箸墓古墳は卑弥呼の墓か」を読んで

          Nスペ「邪馬台国の謎に迫る」を見て

          2024/3/17のNスペ「邪馬台国の謎に迫る」を見ました。僕はX(Twitter)やThreadsで感想を投稿しましたが、noteでも投稿します。 (トップ写真=イラストAC) 酸素同位体比による纏向の年代番組では、箸墓古墳の年代は250年前後であり、卑弥呼の墓の可能性が高いことを印象づけていました。 僕は「箸墓は250年前後」には根拠がないことを2023/5/26のnote記事で詳しく解説しました。邪馬台国近畿説から、中国鏡、三角縁神獣鏡、炭素14年代測定による説が

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          魏志倭人伝は間違いだらけ:短里はなかった

          卑弥呼の都がどこにあったのか、長い間、論争が続いていますが、実は、魏志倭人伝には、編者である陳寿なりの答えが書いてあります。  入れ墨の風習や逸話のところに、一見唐突に女王国の位置情報が登場します。 会稽郡東冶県というのは、今の中国福建省の福州市付近です。その東方ですから、陳寿は女王国が台湾付近にあると推定したことになります(ここでは魏志倭人伝の「1万2000里」の記述に合わせて「女王国」と記載します)。 もちろん、女王国は台湾にあったわけではありません。陳寿は女王国の

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