箸墓は300年前後、ホケノ山は270年前後:シンプルな根拠
箸墓[はしはか]古墳(奈良県桜井市)の実年代は3世紀中頃と言われることが多いです。しかし、3世紀中頃の根拠は意外と知られていないと思います。
邪馬台国近畿説から、中国鏡、三角縁神獣鏡、炭素14年代測定を根拠とした、主に3つの説が出されています。国立歴史民俗博物館(歴博)の炭素14年代の説はメディアなどで引用されることも多いので、聞いたことがある人がいるかもしれません。
どの説もなかなか理解が難しいのですが、僕はそれぞれの説を検証し、いずれも根拠は不十分だということを、2023年5月26日のnote記事で紹介しました。
2023年5月26日のnote記事の5章で触れているとおり、僕自身は「箸墓古墳は300年前後、ホケノ山古墳は270年前後」と推定していて、3つの説とは50年ぐらいずれています。僕の根拠は炭素14年代測定ですが、歴博とは異なります。根拠はシンプルです。ここで改めて紹介したいと思います。
※トップ写真:箸墓古墳(写真AC)
【根拠の要旨】
ホケノ山から出土した小枝群の炭素14年代測定によると、ホケノ山古墳は270年前後または4世紀後半の確率が高い。どちらが正しいかはわからない
箸墓周濠から出土した小枝の炭素14年代測定によると、箸墓古墳は230年前後または300年前後の確率が高い。どちらが正しいかはわからない
ホケノ山古墳→箸墓古墳の順番でつくられたと考えられる
ホケノ山古墳は箸墓古墳よりも古いのだから、4世紀後半の可能性は消え、270年前後が確定する
ホケノ山古墳が270年前後で、ホケノ山古墳は箸墓古墳よりも古いのだから、箸墓古墳の230年前後の可能性は消え、300年前後が確定する
測定試料に疑義の指摘もあるが、100%否定される根拠があるわけではない。今後、さらに測定試料数が増えることが望まれる。
この記事の目次は以下になります。1~4は僕の根拠の詳細、5・6は参考情報です。
1.箸墓とホケノ山の小枝試料
小枝試料と測定結果
箸墓古墳の試料の中で重要なのは、周濠下層から出土した小枝(1点)です。僕はこれを「箸墓周濠小枝」と呼んでいます。
外部に開放されたことのない埋葬施設内の試料があればベストなのですが、箸墓古墳は発掘されておらず、そのような試料がありません。箸墓周濠小枝は周濠ができたばかりの年代(=古墳築造直後の年代)に積もったものと考えられ、現時点では箸墓古墳の実年代を最もよく表しています。
炭素14年代測定とは、試料に含まれる炭素14(放射性炭素)の濃度を測定し、炭素14が5730年で半分になることを利用して、元の動植物の死んだ年代を推定する手法です。2023年5月26日のnote記事の3章で紹介しています。試料は炭素を含む物質であれば、樹木はもちろん、土器に付着した焦げなどでも測定できます。
箸墓周濠小枝の測定結果が下図になります。
※「NRSK-C21」は箸墓周濠小枝の試料番号
※「古墳出現期の炭素14年代測定」(歴博、2011年)
このグラフは、国際標準ソフトOxCal[オクシカル]を使って、炭素14年代の測定結果を較正[こうせい=実年代に変換]したものです。
縦軸の赤い山がこの試料で測定された炭素14年代(誤差範囲を含む)。この試料では中心値1820BP(BPは炭素14年代の単位)、誤差の標準偏差(1σ)は±30
右下がりの青い曲線が炭素14年代を較正するための較正曲線Intcal20[イントカル20]
炭素14年代(誤差範囲を含む)と較正曲線が交わったところが較正年代(実年代に変換された年代)で、横軸のグレーの山で示される
この試料では、153~256年の確率が69.7%、284~326年の確率が21.8%と計算された
次に、ホケノ山古墳の試料は埋葬施設(木槨)から出土した小枝(2点)です。僕は「ホケノ山小枝群」と呼んでいます。測定結果は下図になります。
※「hokenoNo.1」「No.2」はホケノ山小枝群の試料番号
※「ホケノ山古墳中心埋葬施設から出土した木材のC14年代測定」(奥山誠義、橿原考古学研究所『ホケノ山古墳の研究』所収、2008年)
グラフからは、以下のことが読み取れます。
箸墓周濠小枝の較正年代(グレー)は、230年前後と300年前後に山がある
ホケノ山小枝群の較正年代は、270年前後と4世紀後半に山がある
炭素14年代測定では、箸墓古墳は230年前後か300年前後、ホケノ山古墳は270年前後か4世紀後半の確率が高いということになります。
※国際標準の較正曲線Intcalは新しい知見をもとに不定期で見直されてきました。以前のIntcal98やIntcal13などから現在のIntcal20に見直されたことにより、箸墓周濠小枝の較正年代はより絞り込まれました(ホケノ山小枝群の較正年代はほとんど変わりません)。Intcalは今後も見直される可能性があることは留意する必要があります。
試料の年代の前後関係
どちらも試料単独の測定結果では複数の候補があって、実年代を絞り込めません。では、両者の測定結果を組み合わせるとどうなるでしょうか。
重要なのは試料の年代の前後関係です。箸墓古墳とホケノ山古墳は、ホケノ山古墳→箸墓古墳の順番でつくられたと考えられています。
前後関係は後でも検討しますが、根拠として、ここでは、箸墓古墳からは特殊器台・特殊壺、円筒埴輪が出土している一方、ホケノ山古墳からは出土していないことを挙げたいと思います。特殊器台などが出土しないホケノ山古墳は、箸墓古墳よりも前の時代だといえます。
2.シンプルでわかりやすい根拠
箸墓周濠小枝、ホケノ山小枝群の測定結果と、両者の前後関係をもとに、以下のように整理できます。
ホケノ山から出土した小枝群の炭素14年代測定によると、ホケノ山古墳は270年前後または4世紀後半の確率が高い。どちらが正しいかはわからない
箸墓周濠から出土した小枝の炭素14年代測定によると、箸墓古墳は230年前後または300年前後の確率が高い。どちらが正しいかはわからない
ホケノ山古墳→箸墓古墳の順番でつくられたと考えられる
通常はこれらの情報をもとに国際標準ソフトOxCalを使って計算するのですが、ここではOxCalを使うまでもありません。
ホケノ山古墳は箸墓古墳よりも古いのだから、4世紀後半の可能性は消え、270年前後が確定する
ホケノ山古墳が270年前後で、ホケノ山古墳は箸墓古墳よりも古いのだから、箸墓古墳の230年前後の可能性は消え、300年前後が確定する
これが僕の「箸墓古墳は300年前後、ホケノ山古墳は270年前後」の年代推定の根拠になります。とてもシンプルでわかりやすいです。
2023年5月26日のnote記事の3章と5章では、国際標準ソフトOxCalを使った、歴博の56試料の炭素14年代にもとづく年代推定、僕の17試料(箸墓・ホケノ山以外の試料を含む)の炭素14年代にもとづく年代推定を紹介しています。
記事には、誰でもOxCalを使った較正を再現できるように、OxCalの使い方や纒向遺跡関連試料のコマンド例をエクセルにして添付しています。OxCalを使わないと、炭素14年代について語ることはできません。みなさんも試してみてください。
※ちなみに、歴博は箸墓古墳と纒向遺跡にある東田[ひがいだ]大塚古墳の前後関係から、箸墓古墳の年代を240~260年と推定しました。しかし、東田大塚古墳の年代の統計学的適合度(一致度)は低く、全体では16%となりました(適合度は60%が求められる)。詳細は2023年5月26日のnote記事の3章で紹介しています。
※僕の年代モデルによる年代推定では、適合度は65%となりました。少なくとも、僕の年代推定のほうが歴博より正しい可能性が高いことを示します。
念のため、付け加えると、僕の記事を読んだ人から、僕が邪馬台国九州説だから、箸墓古墳の年代を意図的に下げようとしている(新しい年代にしようとしている)という指摘を受けることがあります。
しかし、上記の根拠を見ていただければ、僕が年代を下げようとして下げているわけではないことがわかると思います。箸墓周濠小枝、ホケノ山小枝群の炭素14年代と前後関係からは、何の判断や解釈を加えなくても、自動的に「箸墓古墳は300年前後、ホケノ山古墳は270年前後」になるというのが正しいです。
そもそも僕は邪馬台国九州説ではありません。僕の説はいつか発表できればと思います。
3.測定試料の妥当性
僕の年代推定は、箸墓古墳は1試料、ホケノ山古墳は2試料しかありません。ですから、残念ながら、僕の年代推定が絶対に正しい、これしかないと主張できるものではありません。
箸墓周濠小枝やホケノ山小枝群が年代を表す試料として適切かどうかという問題もあります。
歴博は箸墓周濠小枝を測定対象にし、僕も重要な試料と位置づけています。一方、周濠は外部に開かれていますので、周濠から出土した試料は得体のしれないものだという指摘があります。後の時代に積もった可能性があるということだと思います。
ホケノ山小枝群は木槨内試料ですから、信頼性は高いと思います。だからこそ、橿原考古学研究所も炭素14年代測定したのだと思います。一方、例えば、寺沢薫さんは以下のように述べています。
具体的にどのような懸念があるのかはわかりません。後の時代に木槨内に混入した可能性があるということでしょうか。
しかし、測定結果からは「箸墓古墳は300年前後、ホケノ山古墳は270年前後」となりました。たまたま、ホケノ山古墳で後世に混入した小枝群が270年前後で、箸墓古墳周濠に混入した小枝が300年前後という近い年代になることがあるでしょうか。僕は偶然とは考えられないと思います。今後、さらに測定試料数が増えることが望まれます。
箸墓周濠小枝もホケノ山小枝群も100%確かな試料ではないかもしれませんが、否定される明確な根拠があるわけではないと思っています。
また、ホケノ山古墳に副葬されていた画文帯神獣鏡の破鏡(破砕されていた鏡)は、中国で230~250年に製作されたと推定されています(上野祥史「ホケノ山古墳と画文帯神獣鏡」(橿原考古学研究所『ホケノ山古墳の研究』所収、2008年))。
倭国に流入してホケノ山古墳に副葬されるまでのタイムラグを考えれば、270年前後という年代は矛盾しません。「ホケノ山古墳は270年前後」という年代推定の確からしさを裏づけていると思います。
4.箸墓とホケノ山の前後関係
ホケノ山古墳は、いろいろな点で、弥生終末期の墳墓の特徴を備えています。
画文帯神獣鏡などが破砕されて副葬されている
埋葬施設が(竪穴式石室ではなく)石囲い木槨である
三角縁神獣鏡を副葬していない
弥生終末期と古墳前期の画文帯神獣鏡については、2024/6/24のnote記事で紹介しました。
ホケノ山古墳は弥生終末期の特徴をもっているのだから、箸墓古墳よりも古いはずだといってもいいのですが、箸墓古墳は未調査であるため、副葬品や埋葬施設がどのようなものかわかりません。ひょっとしたらホケノ山古墳と同じ特徴をもっているかもしれません。
箸墓古墳とホケノ山古墳で比較できる出土品としては、古墳に供[そな]えられた土器があります。先ほど述べたとおり、箸墓古墳からは特殊器台・特殊壺、円筒埴輪が出土していますが、ホケノ山古墳からは出土していません(リンク先は岡山県古代吉備文化センター)。ホケノ山古墳では木槨の周囲に二重口縁壺(土器)が並べられていました。
古墳に供えられた土器は、時代とともに、特殊器台、円筒埴輪へと変化していきます。特殊器台などが出土しないホケノ山古墳は、箸墓古墳よりも前の時代だといえます。
5.土器型式の年代推定
箸墓は布留0式古相?
弥生終末期から古墳前期の土器の型式は、以下のように変化します。
弥生終末期 庄内1式→2式→3式
古墳前期 布留0式古相→新相→布留1式→2式
寺沢さんはホケノ山古墳は庄内3式としています。僕は寺沢さんの説に賛成です。ホケノ山古墳からは布留式期に特有の小型丸底壺も出土していて、考古学者のあいだでは、布留0式古相という説が多いですが、寺沢さんは、小型丸底壺は纒向遺跡の大型建物跡(庄内3式期以前)から出土した脚台付小形鉢と類似することを根拠としています(『王権と都市の形成史論』(吉川弘文館、2011年))。
また、寺沢さんは箸墓古墳は布留0式古相としています。僕はこれにはやや疑問です。
「やや新しい様相がみられる」のであれば、布留0式新相とすべきではないでしょうか。歴博の2011年論文でも、築造直後の年代は布留0式新相としています(2023/10/11のnote記事の5章参照)。
土器の型式が重なることは当然あるわけですが、重なる場合は新しい型式で呼ぶものだと認識しています。
僕の年代推定は土器型式を介さず、それぞれの古墳から出土した試料(小枝)を直接ターゲットにしています。ですので、ホケノ山古墳が庄内3式でも布留0式古相でも、箸墓古墳が布留0式古相でも新相でも、結果は変わりません。重要なのはホケノ山古墳と箸墓古墳の前後関係です(もちろん、他の古墳との前後関係を考えるうえで、土器型式でどの年代になるかは重要であり、ないがしろにしていいわけではありません)。
土器型式の年代推定
土器型式の年代を推定するには、2つの方法があります。
1つは考古学的手法で、いっしょに出土する中国鏡などの製作年代から推定します。
例えば、布留0式の土器といっしょに中国鏡が出土したとします。その中国鏡の製作年代が240年前後ということが確かならば、布留0式の年代は240年前後よりもさかのぼることはありえません。可能性のある最も古い年代(考古学用語で「上限年代」といいます)が240年前後に絞り込まれます。
もう1つは科学的年代測定法です。科学的年代測定法には、炭素14年代測定のほか、炭素14年代ウィグルマッチング法、年輪幅年輪年代法、酸素同位体比年輪年代法などがあります。それぞれの特徴(メリット・デメリット)は2023年5月26日のnote記事の4章で紹介しています。
実は、布留0式の土器といっしょに出土した木材(護岸用の杭材)の最も外側の年輪が、酸素同位体比年輪年代法で231年という測定結果が出ていることが、2024/3/17のNスペ「邪馬台国の謎に迫る」で放送されました。
布留0式の年代は231年を含むことになり、僕の「箸墓古墳(布留0式新相)は300年前後」という推定とは離れています。むしろ、箸墓周濠小枝の炭素14年代測定による230年前後の山と一致します。これについては、2024/3/19のnote記事で、必ずしも、231年が布留0式の年代を表すとは限らないことを紹介しました。
年輪を使った年代推定の場合、最外年輪の年代がその木材の使用年代とは限りません。木材が他の用途(建物など)からの再利用である可能性や、伐採後に保存していた期間が含まれる可能性があるからです。
杭材であっても、島根県大寺[おおてら]遺跡のように、掘立柱建物の柱材が縦に分割され、先端を斜めに加工されて杭材に再利用された例はあります。2023年5月26日のnote記事の4章で写真入りで紹介しています。
酸素同位体比年輪年代法による測定結果(最外年輪の年代の特定)は、科学的年代測定法の中でも最も信頼性が高いのは確かです。仮に、中塚さんが測定した杭材に樹皮がついていたのであれば、転用材の可能性は否定されます(現段階では未公表)。
ただ、保存期間の問題は判断のしようがありません。これは年輪を使った年代測定の宿命といえます。酸素同位体比年輪年代法の測定結果も100%正しい年代を表すとはいえません。
6.ホケノ山古墳の出土品が重文指定
折しも、今年、ホケノ山古墳からの出土品が、国の重要文化財指定を受けます。橿原考古学研究所では、6~7月に特別陳列「ホケノ山古墳 大和王権の成立へ」を開催し、7/7には講演会も行われました。僕は残念ながら行けませんでした。
展示については、「みくる」さんのブログ(7/16)が詳しいです。二重口縁壺(土器)の写真も掲載されています。
講演会については、産経新聞(7/24)で紹介されています(記事は無料登録で全文が読めます)。
僕もいつか、最高傑作といわれるホケノ山古墳出土の画文帯神獣鏡に出会えることを願っています。
(最終更新2024/12/14)
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