
封泥の専門書発刊:『秦帝国と封泥』
僕は2024年4月26日のnote記事で、邪馬台国問題を解決する決定的証拠は金印ではなく、「封泥」だということを紹介しました。
封泥とは、古代中国で文物を送る時や保管する時に、封印に使われた泥(粘土)のことです(リンク先はトーハクサイト)。封泥に印が捺[お]され、文物が正当なものであることの証明とされました。封泥の使い方は、トーハクのオンライン月例講演会(2021年2月)のYouTubeがわかりやすいです。


上野祥史氏・谷豊信氏らが執筆
折しも、このほど、封泥に関する専門書が刊行されました。『秦帝国と封泥 社会を支えた伝送システム』(六一書房、2024年4月)です。
この本はなかなか国会図書館にも入らなかったのですが、千葉市立図書館に相談したところ、千葉県立図書館が購入してくれることになり、貸出を受けることができました。千葉市立図書館・県立図書館に感謝です。
本書は銅鏡研究の第一人者でもある上野祥史[よしふみ]さん(歴博)らが編者となり、YouTubeに登場している谷豊信さん(トーハク)をはじめ9人の著者が、3部10章に分けて、封泥を論じています。3部構成は簡単にいうと、①封泥とはどういうものか、②どのように使われたのか、③秦の社会、封泥の文字などがテーマになっています。
おそらく、封泥のみをテーマにした専門書は初めてではないでしょうか。封泥に関心のある人には必読です。
使用済みの封泥は壊れていないこともある
本書を読んで、2024年4月26日のnote記事に間違いがあることがわかりました。
封泥は文物を送ったり、保管したりする時の封印のために使われます。僕は開封時に封泥は破壊されるものだと思っていました。封泥が破壊されていなければ、文物がすり替わっていないことの証明になるのではないかと。それにしては、全形の封泥が大量に残っているのはどうしてだろうと不思議には思っていました(墓に副葬された封泥が出土しているのだろうかとか…)。
本書の第2部第1章「秦の文吏のリテラシー」に、モンゴルに近い甘粛[かんしゅく]省で出土した「居延右尉[きょえん・うい]」封泥が紹介されています。

図録(『河隴[かろう]文化:連接古代中国与世界的走廊』(李永良主、香港商務印書館、1998年))には以下のような解説があるそうです。
▶この封泥は出土時になお(まだ)木質の封匣[ふうこう]の中に埋め込まれていた
▶匣内には麻紐を六回巻きつけて、最後に背面で結んでいる
▶匣内の正面の麻紐の上には赤褐色の細かい泥を埋め込み、その上に篆書体[てんしょたい]の「居延右尉」印が捺[お]されている
▶出土時、郵送物は失われていたが、開封のため紐を切断した痕跡がきわめて鮮明なので、この封泥匣は郵送物を受け取ったのちに廃棄されたものだろう
※匣[こう]:封泥を収めるために彫り込んだくぼみ
※居延[きょえん]:前漢時代に西域の防衛拠点として置かれた県。1930年以降、大量の公文書の木簡(居延漢簡[かんかん])が発見され貴重な資料となっている(リンク先は台湾の歴史文物陳列館)。
この封泥からもわかるとおり、開封のためには紐を切ればよく、その場合、封泥が壊れることはありません。全形が残り、あるものは保管され、あるものは廃棄されたのだと思います。
ですので、2024年4月26日のnote記事の以下の記載などは訂正しました。
誤 開封すると封泥は壊れます。→削除
誤 金印の入った容器や文書は開封されたでしょうから、欠けた封泥ということになります。→削除
日本で魏の皇帝の封泥が出土した場合、出土地は卑弥呼の都であった可能性が高いです。封泥は欠けているとは限らず、全形かもしれません。
封泥の多くは役所跡で出土
本書第1部の2つのパートから、印象に残った個所を紹介します。
「秦漢封泥とは」(谷豊信氏)より
2022年に中国で『中国古代封泥全集』が刊行。それによると、①封泥はこれまでに約3万3000個以上が出土、②朝鮮半島北部、西域、モンゴル、ベトナム北部でも出土、③多くは役所跡で出土、墓からも出土、④出土は1、2個のこともあれば狭い範囲から1000個超もある
2000年前後もの間、封泥が壊れずに残っている理由は不明。火で焼いたとは考えづらく、何らかの凝固剤を加えたであろうと想像。理化学的分析が待たれる
『中国古代封泥全集』で紹介されている封泥の時代別内訳は下表のとおり

上記がそのまま時代別の使用数比率を表すわけではありませんが、封泥は秦漢時代を中心に使われ、魏晋時代(卑弥呼の時代)にも使われたことがわかります。西晋時代の293年の使用例(敦煌出土)は2024年4月26日のnote記事でも紹介しました。
封泥は役所跡と思われる場所で出土することが多いというのも、なるほどと思いました。郵送物を受け取った場所、保管した場所ということになると思います。
「観峰館所蔵封泥が提起する秦封泥の検討視点」(上野祥史氏・瀬川敬也氏)より
印文の重複が多い。観峰館所蔵の153個の封泥の印文は38種類。印文が同じでも字体・形状が同じとは限らない。泥の色には明色系と暗色系がある
印章の全面が捺されていない封泥が大半。封泥を変形した痕跡もある。封泥は全面転写を意識してつくられていない。印文の視認は最優先の事項でなかったことを示す
日本で封泥を所蔵している博物館等は下表のとおり

封泥は日本での出土はありません。しかし、前漢の時代から倭国には大量の中国製の青銅器が流入しています。それらには封泥が伴っていた可能性があり、今後の発掘・調査で出土する可能性はあるのではないでしょうか。
魏の皇帝の封泥は出土していません。もし、魏の皇帝の封泥らしきものが出土しても真贋論争になります。そもそも、皇帝の封泥は、トーハクが所蔵している「皇帝信璽[こうていしんじ]」しかありません。前漢時代のもので秦時代にさかのぼる可能性があるとされています。
日本で封泥が出土し、それが魏の皇帝のものと判明する可能性は極めて小さいと思いますが、可能性はゼロではありません。それまで邪馬台国問題の解決はお預けです。
それにしても、印章の全面が捺されていない封泥が大半なのはどうしてでしょうか? 谷さんも不思議だとしています。