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【連載】#7 どん底から早く抜け出す方法|唯一無二の「出張料理人」が説く「競わない生き方」

職業「店を持たない、出張料理人」、料理は出張先の素材を最大限に生かしたオンリーワンのレシピを考案して提供する――。本連載は、そんな唯一無二の出張料理人・小暮剛さんが、今までの人生で培ってきた経験や知恵から導き出した「競わない生き方」の思考法&実践法を提示。人生を歩むなかで、比べず、競わず、自由かつ創造的に生きていくためのヒントが得られる内容になっています。

※本連載は、毎週日曜日更新となります。
※当面の間、無料公開ですが、予告なしで有料記事になる場合がありますのでご了承ください。

「人生は、山あり谷あり」と言われます。
私は出張料理を始めて30年以上になりますが、振り返ってみると、山(良いとき)は、ほんの1割程度で、9割は谷(逆境)です。しかも、どん底がほとんどです。私が出演させていただいたテレビ番組「情熱大陸」「クレイジージャーニー」などをご覧になった人からは「そんなことないでしょう、輝かしい経歴で」と言われそうですが、本当に苦しいことのほうが圧倒的に多いと実感しています。

中学生のときから思い描いていた計画では、30歳になったらお店を持ちたかったのですが、修行を終えて30歳で独立したときにバブル景気がはじけたこともあり、銀行にまったく相手にされずに、仕方なく、とりあえずつなぎの気持ちで「出張料理人」となりました。その時点で私は、早くもどん底を味わうことになりました。

最初の4年間、まったく仕事がなかったのです。それは、当たり前と言えば、当たり前です。「今日から、ボクは出張料理人です!」と一人で宣言したところで、世間の人々は、そんなことを知らないですし、今から思えば、それで仕事が来るほうが不思議だと思います。

当然、「これではダメだ」と思い悩むわけですが、何をどうすればよいかもわからない。独立した1991年当時は、今のようにSNSがあるわけでもなく、パソコンも電子メールも、私には遠い世界のモノでした。とりあえずチラシをつくろうと考え、レポート用紙に手書きで自己紹介を書き、「おひとり様あたり1000円から承ります」みたいな料金設定も書いて、近くのコンビニで数十枚コピーしては、普通の茶封筒に入れて、船橋市内の実家のご近所のポストに投函して行きました。頑張って300軒ぐらいの御宅に投函しましたが、1件の反応もなく、悩みはさらに深まりました。

次に考えたのが、「外国人ならホームパーティーをするに違いない」と思い立ち、近所のみならず、とにかく英会話教室の看板を見つけたら、受付に行って手渡しする作戦です。今から思えば、こんなに迷惑で、失礼なやり方はありません。でも当時は、そんなこともわからずに、手当たり次第、英会話教室の受付にチラシを手渡しして回りました。船橋から東京、神奈川、埼玉まで行きました。でも当然のことながら、1件のヒットもありませんでした。

さらに考えたのが、「地方の脱サラでやっているペンションや、和食しかない旅館なら、出張料理の需要があるかも」というものでした。近くのコンビニで「じゃらん」という旅行雑誌を買って、「ここなら」と思うペンションや旅館に1枚30円でプリントした料理写真(コピー用紙ではありません)を20枚ぐらい入れて、かなり分厚くなった封筒を100軒ぐらいに送りましたが、1軒だけ御礼の電話をいただいた以外は、まったく無反応でした。

こんなことを続けていたら、普通なら気分的に滅入るものです。ただ、私には、なぜか「出張料理は、これからの時代、絶対に需要があるはずだ。仕事が来るまで頑張るぞ」という何の根拠もないのに、妙な自信だけはありました。

そこで次に始めたのが、体力づくりのためのトレーニングです。いつかは忙しくなるはずだから、それを乗り越えるだけの体力を今のうちにつけようと、毎日ランニングしたり、腕立て伏せしたりしていました。さらに、毎日続けていたのが、実家近くにある神社参りでした。私は、特に特定の宗教にハマっているわけではありませんが、子供の頃から七五三など、人生の節目でいつもお世話になっていた神社ですから、「これからも見守ってください」という気持ちで、毎日手を合わせに行きました。ちなみに、今はウチにも宮大工さんがつくってくださった神棚があり、1日と15日には、榊を変えて毎朝手を合わせています。

こんな感じで、仕事がなくても気持ちを切らさずに頑張っていると、必ず応援してくださる方が出てきて、チャンスは急にやってくるものです。大学時代の先輩が、当時、帝国ホテルの社長だった犬丸一郎さんを急にご紹介してくださったのです。最初は、帝国ホテルの社長とは知らずに、ホームパーティーのお料理をつくらせていただいたのですが、パーティに参加された皆さんにとても気に入っていただきました。特に、犬丸さん奥様には皇室とのご縁があるくらい広い人脈をお持ちで、多くのお客様をご紹介していただきました。読売ジャイアンツの長嶋茂雄さんや女優の三田佳子さんの御宅にもおうかがいできるようになったのも、犬丸さんの奥様のご縁から始まったもので、感謝しかありません。

もし今、あなたが逆境にいるのなら、「これから道は絶対に開ける」と信じて、希望を持って前向きな発想で日々を過ごしてください。

私は最近、「自然(地球)の法則」は存在すると感じています。「朝と夜を足して24時間」「陰と陽を足して100%」みたいなことです。明けない夜はないし、陰(ピンチ)の後には陽(チャンス)が必ずやってきます。陰が深ければ深いほど、陽はさらに輝き出します。あなたも、これからの人生が輝かしいものになるように、いつも前向きな気持ちを持って、時にはカラ元気でもいいので、とにかく頑張ってください。そんな頑張っているあなたを、きっと誰かが見ていてくれるものです。

そのときに必要なのは、まわりの人や環境への感謝の気持ちです。ちょっといいことがあっても、驕りがあると、せっかくの機運を下げることになるから不思議です。調子のいいときも驕ることなく、調子が悪いときもまわりの人や環境のせいにすることなく、感謝しながら頑張っていると、必ず良いチャンスが巡ってきます。私が60年以上生きてきたなかで示せる、間違いのない幸せの法則です。

【著者プロフィール】
小暮 剛(こぐれ・つよし)
出張料理人。料理研究家。オリーブオイルソムリエ。1961年、千葉県船橋市生まれ。明治学院大学経済学部卒業後、辻調理師専門学校を首席で卒業。渡仏し、リヨンの有名店「メール・ブラジエ」で修業。帰国後、「南部亭」「KIHACHI」「SELAN」にて研鑽を積み、1991年よりフリーの料理人として活動開始。以後、日本全国、海外95カ国以上で腕をふるう「出張料理人」として注目される。その土地の食材を豊富に使い、和洋テイストを融合させて、シンプルに素材の持ち味を生かす「小暮流料理マジック」に、国内のみならず世界中から注目が集めている。近年は、出張料理人として活躍しながら、地域食材を最大限に生かしたレシピ開発を通じた地方再生や、子どもたちの食育講座などを積極的に行なっている。また、日本におけるオリーブオイルの第一人者としても知られ、2005年には、オリーブオイルの本場・イタリア・シシリアで日本人初の「オリーブオイルソムリエ」の称号を授与している。その唯一無二の活躍ぶりは各メディアでも多く取り上げられており、TBS系「情熱大陸」「クレイジージャーニー」への出演歴も持つ。最終的な夢は、「食を通して世界平和を!」。

▼本連載「唯一無二の『出張料理人』が説く『競わない生き方』」は、下記のサイトで過去回から最新話まですべて読めます。


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