千颯

この先の生き方を模索中。過去の振り返りと整理。 現在の自認はアロマンティック。Xジェンダー。自分を固定せずに生きていこうと思っている。

千颯

この先の生き方を模索中。過去の振り返りと整理。 現在の自認はアロマンティック。Xジェンダー。自分を固定せずに生きていこうと思っている。

最近の記事

奨学金の話。

昔話をしよう。 ぼくが大学に通っていたころの話だ。 ぼくは奨学金を借りている。 大学に通うために借りた。月に10万。4年間。 おそらくメジャーであろう某機構から。利息有りの第2種だ。 ぼくは当時よくわかっていなかったので端的に奨学金の利用理由を記入したのだが、どうも後々聞いてみると、第1種に当たるには申し込み書類に真剣に理由を書くべきだったらしい。もっと情に訴えるような言葉で書けばよかったのに、と。まぁ本当かどうかは知らないが。 実際のところ兄が大学在学、弟の高校進学。経

    • お見送り

      この秋に、うちの子を見送った。 5年と少し。 それが長かったのか短かったのかはわからない。 ただ、『いること』はぼくにとって『当たり前』の日常だった。 いつまでもいっしょにいてほしかった。 そんなことはできないのはわかっていた。 それでも、まだもっと一緒にいられると思ってた。 動かなくなってしまった身体のままでも、そばにいてほしかった。 叶うなら、その身体を手放したくなかった。 骨になんてしたくなかった。 このままずっと抱えていきたかった。 最期までほんとうは手放し

      • 生きていこうと思った。ひとりごと。

        生きたくなかった。 ずっとしんどくて、投げやりだった。 自分から死ぬほどの積極的な意思はなく、 ただ、生きている自分の存在そのものが疎ましかった。 生きている自分がいることが苦しかった。 生きている自分そのものが、自分の存在そのものが『失敗』そのもの。 それでも自分を生かした理由は単純。 「死んでも迷惑がかかるから」 だから、やめよう、と。 それくらいには大事にしていた。 兄弟もだけど、親も。それくらいには好きだった。 ここで死んで迷惑をかけるくらいなら、ここを出よう。

        • 期待をしてしまう話。

          Switchの抽選に応募してみた。 ニンテンドーの公式サイトからだ。 流通にも乗ってきたというし、かなりの人がもう持っているだろう。 ぽつぽつと当選したなんて話も身近に聞くようになった。 そろそろ当たるんじゃない? 始めの頃はまぁ、当たらないだろうと思って応募していた。 倍率もなかなかだったし、転売目的も相当多かったことだろう。 当たることはないと思っていた。 運試しとしか思っていなかった。 さて、今回の結果はというと、落選だった。 ぼくはとてもがっかりした。 がっ

          自分の親を毒親なんだろうな、と思った話。

          もやもやを抱えている。 きっとこの先も、ずっと抱えて生きていくだろう。 家を出れば。 会わなければ。 連絡を取らなければ。 そう簡単に割り切れる問題じゃない。 家を出ても連絡が来るたびに揺り戻される。 会わなければと緩く拒絶していれば甘い言葉で罪悪感を揺さぶられ。 連絡を絶てば押しかけてこられるのではと、 いつかこの家のドアが叩かれるのではないかと怯える。 だからこの問題は苦しむ。 縁をまったくスパッと断ち切ることは、今の社会ではとても難しい。 連絡がすぐについてしま

          自分の親を毒親なんだろうな、と思った話。

          ぼくが愛している人たちの話

          古今東西、山ほどの喜劇や悲劇を生み出してきたもの。 家族、親子や兄弟のような血縁関係、 あるいはまったくの他人同士を結びつけるファクターとして語られるもの。 愛。 これだけ多く語られ、語り継がれ、 誰もが何かしらの感情を向ける/向けられる上で触れてきたもの。 だれもが存在を認識していて、 だれもが知っているような言葉でありながら、 姿かたちどころかその輪郭もあやふやで、ぼんやりとして、 それがなにかもよくわからない。 これほど『ある』と信じられながら、これほど曖昧な存在

          ぼくが愛している人たちの話

          恋愛感情を持たない。

          ぼくは恋愛をしない。 世間一般に言われるような恋愛ができない。 そういう感情を持つことができない。 今現在の自分をそういう『状態』だと認識している。 なぜ『そう』なのか。 これに関しては個個それぞれに様々な意識や認識があると思う。 一度も恋愛感情を持ったことがないとか、恋をしたことはあるとか。 恋愛感情が「ほしい」という人もいれば、「わからないし、いらない」というひともいるし、「気持ちが悪い」という人もいる。 『恋愛感情を持たない』という括りにいる人の中でも、とにかく色々

          恋愛感情を持たない。

          「やっぱり女の子だよね」と言われたくない。

          例えば料理、例えばお菓子、例えば裁縫、手芸、アクセサリー…etc. なにか行動するとき。選ぶとき。それを人に話すとき。 抵抗を覚えることがある。 「〇〇が好きなの?やっぱり女の子だよね」 ぼくはこれがとても苦手だ。 これを言われたくないがために遠ざけてきたことは多かったと思う。 少なくとも、言われるのがわかっていたら手を出さないか、見せないか。 行動や選択ひとつひとつに「女の子だから」「男の子だから」。 なにかしたら「やっぱり女の子/男の子だね」。 ぼくはただ、好き

          「やっぱり女の子だよね」と言われたくない。

          Xジェンダーの一人称の話。

          わたくし。わたし。あたし。ぼく。おれ。自分。わし。わい。etc. 日本には多様な一人称がある。 公的、私的、相手、立場など、 一般的には場面に応じて、役割に応じて使い分ける人がほとんどだろう。 それぞれの一人称には”役割”や”分類”が付属している。 例えば『男性が使う一人称』『女性が使う一人称』みたいな認識は、誰しも無意識のうちに持っているだろうし、この社会に浸透していると思う。 (一人称の性を気にする、という時点である意味でジェンダーにゴリゴリに縛られているのだけれど、

          Xジェンダーの一人称の話。

          トランスジェンダーではないんだな、と思ったXジェンダーの話。

          幼少期からジェンダー的な女性に対する嫌悪感を募らせていたのだけれど、 身体的な違和感を抱えるようになったのは中学生に上がった頃のことだった。 だんだんとこのくらいの頃から男女という性別の差が大きくなってくるんだよね。身体的には第二次性徴というやつ。 そして意識的にも恋愛だなんだというのが話題に上がりだしたのもこの頃だったと思う。もっと早い集団もあるのかもしれないけれど、幸いにしてその頃の自分はまだ無縁のまま生きていた。 いつも男女半々くらいのグループで遊んでいることが多かっ

          トランスジェンダーではないんだな、と思ったXジェンダーの話。

          性別そのものを嫌悪してたXジェンダーの話。

          ぼくはXジェンダーを自認している。 この自認を以てそれなりの年数生きていて、幸いにして(?)現時点ではすでに悩むとかいうあたりは遙か彼方。 自分はここで落ち着いてしまっていて、 周りの友人たちも知ってたり知らなかったりなりに受け入れられていて、 もはや馴染みすぎて当たり前のようになっている。 もちろんXジェンダーという言葉に出会って、それが何事もすべて解決してくれるなんて都合のいいことがあるわけはなく。 ぼくもXジェンダーという言葉にぶつかって、そこからこうなるまでにはそ

          性別そのものを嫌悪してたXジェンダーの話。

          兄と結婚について語った話。

          兄と結婚について話をしたことがある。 もうずいぶん昔の話だ。 「お前この先どうする」 前後の話の流れは覚えていないし、 もしかしたら単発の話題だったのかもしれない。 なんせその時ぼくらは居間でドラマをみていたのだから。 「俺はいずれ出ていくよ。この家を出て行って、ひとりで生きていく」 出ていく。まだそのころはピンとこなかった。 「俺は結婚もする気はない」 ぼくはなんて返したのだろう。 決まって兄はソファの右側にいて、ぼくはいつも左側でソファを背に座っていた。 あの時兄がどん

          兄と結婚について語った話。

          恋愛感情ってなんだろう。

          ある時、自分に向けられる恋人からの仕草に嫌悪を覚えた。 背筋が凍りつくような、ぞっとするほど明確な嫌悪だった。 「あぁ、これが生理的嫌悪というものか」 感情ではなかった。 ただ自分の身体が、触れられることを拒絶した。 3年前の冬のことだった。 それから、ぼくはここへ続く自分探しの旅に出るわけなのだけれど、 なんと当時26歳。 それまでなんとなく恋人なんてのも作りつつ、多少の違和感は抱きつつ、 しかしまあまあびっくりするくらい鈍感に生きてきていた。 今の自分からすると

          恋愛感情ってなんだろう。