恋愛感情ってなんだろう。
ある時、自分に向けられる恋人からの仕草に嫌悪を覚えた。
背筋が凍りつくような、ぞっとするほど明確な嫌悪だった。
「あぁ、これが生理的嫌悪というものか」
感情ではなかった。
ただ自分の身体が、触れられることを拒絶した。
3年前の冬のことだった。
それから、ぼくはここへ続く自分探しの旅に出るわけなのだけれど、
なんと当時26歳。
それまでなんとなく恋人なんてのも作りつつ、多少の違和感は抱きつつ、
しかしまあまあびっくりするくらい鈍感に生きてきていた。
今の自分からすると実に平和な話である。
ところで今現在はAロマンティックを借りの自認としているのだけれど、
これはこの界隈で知り合った人と話をしていて、一番感覚が近そうな人の分類を借りている。
初めはノンセクか、いやアセクシャルなのではと悩み、そも恋愛感情がわからないのでは、なんてグルグルとしてすでに約3年。
トリガーとなった彼との関係もすでに清算され、
嫌悪の対象を持たない今は、人に向ける感情はどれもフラットになっている。ある意味で、嫌悪に振り切れていたころの自分の感情はとてもわかりやすかったなと思う。
感情的な部分が落ち着いてきた今、そろそろ自分の生き方を考えたいなと思っている。まぁ年齢的な部分も一応あるにはあるんだけれど。
正直、AセクだよAロマだよと自分に明示して生きていくというよりは、
できればそれはそれとして、埋もれて生きていきたい。
語弊がある言い方をするなら、普通に社会に埋もれて生きていきたい。
この間、知人との会話でそういう気持ちを素直に口に出してみたときに、
自分はそれを望んでいるんだなと思った。
こういう場所にいて、それを望んではいけないような気がしていた。
周りの人に祝福されて、当たり前として受け入れられて、世間一般にあるような家族を持ちたいとか。
そういう生き方をしたいと、思ってはいけないような気がしていた。
でも自分はやっぱり、だれかと家族として生きたいと思う。
この自認をしたうえで、パートナーがいればとか、結婚とかを意識し始めたのは、そういう自分の気持ちも大きい。
世間では恋愛感情に基づいたパートナーシップが多いのだろうけれど、
自分は友情に基づいたパートナーシップを構築していければいいなと思っている。
そしてそこに法的なつながりを持ちたい。
そういう方向を模索するためにも自分の状態を整理しておきたい。と思って始めたのだけど。
振り返れば振り返るほど謎が深まっていく。
流されて生きてきたツケが回ってきているなぁ、なんて思いつつ。
生理的嫌悪が生じた原因とか、性嫌悪の話とかいろいろ書いていこうと思っている。