「愛すように愛される」 とは、どういう意味でしょうか。 私は、 愛するということは、愛されることに等しい。 という意味だと思っていました。 愛することを、受け入れてもらえる 愛することを、許してもらえる 愛することを認めてもらえることは 愛されているということである。 そんな風に、ずっと。 だって、 私が愛するように愛して だなんて もう相手など誰でも良くて 愛する人の愛し方など見向きもしていなくて 酷い。と。 あなたの愛じゃ足りない、あなたの愛じゃ感じられない。も
「エゴ」である。 と彼は言う。 これは彼の「エゴ」なのだと思いながら見ていた。 エゴか。 好きにしたらいいのだと思う。 方向性になど興味は無い。 こうあって欲しいなどと願望も無い。 やりたいように進んで、 自分のために音楽をして、 殺される前に終わったらいい。 エゴか。 「甘えている」ともいつかの日に言っていた。 なんて美味しいんだろう。 どんなケーキより、ぴかぴかのお米より美味しい。 夜中に食べるラーメンよりも背徳的で、泣きながら食べた明け方のアイスよりひんやりと美
その人の口にしたもの、耳にしたもの、目にしたもので、骨が作られているとしたら。 わたしの骨は あなたでできている。 と、いつか言える日が来るのかもしれない。 あなたみたいになりたい。 そう分かってしまった季節をよく覚えている。 もう他には何も要らなかった。何も欲しくなかった。ただ全てはあなたが良かった。 あなたみたいになりたかった。 綺麗に生きたい。 いつまでもガワが汚くて、進みたい方角に顔を背けて「明日もあるから」「来月から」「この時期を終えたら」と先延ばしにする、そ
ホワイトラウンジが終わった日を、冬の終わりとする。 この春は「違和感の春」だった。 なにかおかしい、なにか疲れる、なんだこれは、何か嫌になる。 大人になると見ないふりも上手になるもので、あの時見えていたのに見えていないふりをしたのか、本当に見えていなかったのかはもうわからない。 「楽しい」「嬉しい」の影にへばりついた違和感。 自分が何処にいるのか分からない感覚もこの頃からだった思う。呼ばれ慣れている名前は本名では無い。昔話に花を咲かせるよりも、少し先の未来の話が増えた。あの頃
本を読む時はなるべく下を向かずに顔の高さに本を持ち上げたい。鏡を見て毛穴よりもフェイスラインが気になるようになったのはいつからだろうか。顎が存在しているか不安になる。それにしてもそれなりの時間をかけて読むからどうしたって手は疲れてしまってテーブルの高さが丁度良くなってしまう。待って今、顎は無いかもしれない。 思ったより厳しい暑さが早く終わった24年の夏、9月は去年ならまだ夏だった。「夏よ終わるな」、などと言わなくても各地で「夏が始まった合図」は流れていた。9月、夏の予定は終
おまじない。今は?かかってる?すぐに忘れてしまう。あの日辛かったことも、あの日悲しかったことも、忘れてしまう。でもこれだけは分かる。私は強くて可愛いから、心配されたり励まされる必要は無い。私は弱くない。私の高いプライドは私を守るためにある。私が守ってゆく。
それはどんな果実でもいい。 あなたが大切に育てた果実。 いつか、あの人にあげたい。いつか、渡したい。思ったよりも大きく育ったの。実がぎゅっとつまって、瑞々しくて、甘い。きっと美味しいから、あの人に。 おはよう、おつかれさま、こんばんは。ねむれない?すこしつかれた?そんな今ならこの果実も少しは役に立つのかもしれない。今日はゆっくり時を過して、良ければ週末はどこかでかけませんか?とりとめのないことを話しませんか?ただそばに在るから、そんな果実。 さあ手渡して。少しでも元気に
出会いは新芽、開いた花の名前を覚えて ぼくはあなたと共有する。 一緒に生きていくという誓いを前に、不安や 人生への憂いは 拭い切れるものでは無い。 けれども雨は、それらも洗い流して 繋いだ手は、ぬくもりは 確かに灯りでした。 共に歩んだ日々、1本また1本と 編んできた人生も終わりを迎えるでしょう。 形あるこの身、積もる記憶は 溶けて薄れて なくなってしまう。 そうして、それでも、あなたを抱きます。 あの時と同じように雨が降りそうです。 この別れに涙が出ないのは 幸せだと呼
絵を描く大好きな人が、「パレットをずっと洗っていない」と言っていたことを覚えている。その人の水彩画がとても好きで、…という話は長くなってしまうのでやめよう。冒頭にこの早さで本題に戻れるくらいに、流石に文章力も上がってきたのだろうか。 そんなわけ〜〜〜〜〜〜〜〜〜。 私は仕事でもSNSでも年上の方と関わる機会が少ない。中間層であるか、年下をまとめる立場が多い。まあ27歳にもなればそうか、という話だけども今回は。 梅雨入りを控えた6月1日、私が最年少だった夜の話。 「覚え
書きたくなってしまう。 書かなければ、いつまでも泣いてしまう。 そんな気がする。 だから書き残しておきましょう。 死、死んでる〜〜〜〜!!! である。あなたの顔を見た時です、その男の顔。 走る棺、たっぷりのお花に囲まれてあなたは穏やかな顔をしていた。最後の場所へと走るのだ。 0時の配信から、朝までずっと聴いていた。 すごく私、前向きな気持ちになれた。 出会いが愛おしくて、積み重ねた日々を抱きしめたくなった。もうるんるんだった。 こうやって今日も明日も、きっと明後日も生きて
ねえ 最後のところ 「お互い甘えてみましょう」って歌ってるの? ねえ
不思議だね どの時よりも 今 わたしたちだ と 思っている 感じている私がいる 親愛なる そういうことなのかもしれない
「机を囲んで」と耳にした時、私が思い出したのは これまでの夜でした 懐かしい話を、と思えるくらい積み重ねてしまった代償 だいすきだよ 出会ってくれてありがとうね 可愛いひとたち あなたたち ✉️ 𓈒𓏸
フェーズ2開幕から2年。 その2年で数々の目標へ到達し、数々の夢を叶えたのでしょう。 私はあなたたちに出会うのが遅かったから、耳にしていたのに振り向かなかったから、22年の年末からしか知りません。 それでもこの僅か1年と少し、誰かを心から応援したくなる気持ち、寝ても醒めてもその幸せを願う心、新曲に眠れぬ程震える感動、一面の光の海、沢山のものを知りました。 フェーズ1と呼ばれた青春に触れたくて、買い揃えた円盤は宝物です。常に後悔が付き纏う、宝物です。今でも毎日のように、あの時
ではそれは何だったのかと云う話。 何でも良い、目に映るそれが彼らの答えで、揺さぶられた心が私の受け取り方だ。 そう思う。それでもそこに散りばめられたことや、彼らの姿勢以外のメッセージ性や、何かを掴みたい。欲しいと思ってしまう。欲しい。追うというのは、何もライブを追いかけることだけでは無い。その意味や答えを、探そうとすることも、「追う」ということだろう。ミセスを追う、追いたい。追いかけた数日の結末を書く。ちなみにこれを書く人はインタビューを読み終えている。インタビューを読みなが