春から夏の話

ホワイトラウンジが終わった日を、冬の終わりとする。
この春は「違和感の春」だった。
なにかおかしい、なにか疲れる、なんだこれは、何か嫌になる。
大人になると見ないふりも上手になるもので、あの時見えていたのに見えていないふりをしたのか、本当に見えていなかったのかはもうわからない。
「楽しい」「嬉しい」の影にへばりついた違和感。
自分が何処にいるのか分からない感覚もこの頃からだった思う。呼ばれ慣れている名前は本名では無い。昔話に花を咲かせるよりも、少し先の未来の話が増えた。あの頃のことよりもこの先が大切だった。私の過去を共に過した人は此処にいなくて、金髪で過ごした時間が気付けば長くなった。
それは夏の訪れだった。
もうこの頃には人とぶつかることが増えていた。明確な苛立ちと、疲弊。私のことなんて何も分かってない、何も読んじゃいない、その程度だった、呆れた、こんなにいつだって心を開いていたのにばかみたい。自分の中を膿が満たして、耐えられなかった。もう嫌だった。七夕のお願いごとは、「ひとりになりたい」だった。

夏が薄れようとしていた。
それでも現実はそう簡単に人と離れられない。
離して欲しくないきもちと、離れたい理性とで揺れている。話しているうちに支離滅裂になる。まともに言葉も出ない。死んだ方がいい。ペンを持つ手も、文字を打つ指も、ずっと震えている。7月6日、この夏を終えたら死のうと思った夜を思い出す。揺れながら、秋を迎える。誰かの笑った顔や、呼ぶ声に揺られている。揺られながら、生かされる。

9月13日、きょう夏を終える。
秋も始める。混ざり合う日。

そろりそろり、秋を始める。


あしたはだいすきなひとの
おたんじょうび。

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