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贅沢な名だね


2024年12月28日(土)朝の6:00になりました。

年末年始の飲み歩き旅、本日よりスタートです。

どうも、高倉大希です。




むかし、金縛りがひどい時期がありました。

睡眠と覚醒の間で、身体が動かなくなるあれです。


いわゆる、身体は寝ているけれど脳は起きているという状態です。

がんばって動こうにも、どうしても動けません。


はじめて金縛りにあったときは、こんなふうに思いました。

「ああ、これが金縛りか」


雷電の現象は虎の皮の褌を着けた鬼の悪ふざけとして説明されたが、今日では空中電気と称する怪物の活動だと言われている。(中略)結局はただ昔の化け物が名前と姿を変えただけの事である。

寺田寅彦(1984)『寺田寅彦随筆集 第二巻』岩波書店


意外と冷静な自分に、驚いた記憶があります。

はじめてのことなのに、恐怖心がありません。


理由はひとつ、金縛りという現象の名前を事前に知っていたからです。

もし知らなかったとしたら、怖くて仕方がなかっただろうなと思うのです。


起こることは、同じです。

名前を知っているか否かというだけで、心理状況は大きく変わるのです。


われわれの日常経験的には種々様々な事物があり、それらのものは一つ一つ名をもっている。きまった一つの名前をもつということは、きまった一つの「本質」をもつ —— より正確にいえば、きまった一つの「本質」をもつかのように見える —— ということにほかならない。

井筒俊彦(1991)「意識と本質」岩波書店


そんな体験を経て、名前のすごさを知りました。

それと同時に、名前ひとつで簡単に変わりうる意識の脆さも知りました。


たしか『ゲド戦記』のテーマが、これに近かった気がします。

真の名前を知ることで、対象のことを支配します。


そう考えると、「贅沢な名だね」と名前を奪うあのお婆さんも同じです。

名前を扱うということは、想像以上に重大なことなのです。


名前は徐々になじんでくるんですよ。わりと早い段階で「この名前を好きになろう」と決めましたし、ほかにはない自分だけの名前があることに、居心地のよさを感じることもできました。

糸井重里、古賀史健(2018)「古賀史健がまとめた糸井重里のこと」ほぼ日


知らぬ間にわたしたちは、名前に囲まれて暮らしています。

誰かが名付けたはずなのに、はじめから付いていたかのような錯覚に陥ります。


身のまわりの名前は、勝手に増えていきます。

だからこそ、名前から離れる時間が必要です。


詩歌なんかは、それに近いのかもしれないなと思います。

まだ名前がついていないものを、怖れないトレーニングです。






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高倉大希
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