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頻度を下げればクオリティは上がるのか?


2024年9月30日(月)朝の6:00になりました。

時には単なる反復が、少なからぬ意味を持つこともある。

どうも、高倉大希です。




週1で書くよりも、毎日書く方が簡単です。

書かない日が増えるほど、書くことのハードルは高くなっていくからです。


言い換えるなら、「今日はいいや」という感情が膨らんでいくわけです。

昨日も書いていないから、今日もべつにいいんじゃないかと考えます。


こうして多くの習慣は、習慣と呼ばれる前に跡形もなく消え去ります。

自分には向いていなかったんだ、という言い訳が添えられておしまいです。


デューイのいう経験とは、問題状況から思考、探求、リフレクションをとおして確実な知識や認識へと至る動的で連続的なプロセスのことであった。経験の連続的なプロセスが子どもたちの思考し、探求する習慣を形成し、それに付随する結果として、「思考する力」が芽生えるのであって、その逆ではない。

上野正道(2022)「ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学」岩波書店


頻度を下げれば、クオリティが上がる。

理屈はわからなくもないですが、この言葉を聞くたびに「本当か?」と思います。


実現しているように見える人も、きっと裏では続けています。

表に見える頻度が下がったというだけで、裏では考え続けているのです。


多くの人はこれを、表に見えていない期間は何もしていないのだと勘違いします。

頻度とクオリティの関係は、必ずしも反比例ではありません。


ときどき、「プロのフリをしたプロ」っていうのがいます。プロでありながら、プロとしての生き方をしていないので、他のプロへの尊敬ができず、他のプロの悪口を言ったり、素人の前でプロぶったりします。プロは、プロぶらないです。ニセプロにはお気をつけください。

小林賢太郎(2024)「表現を仕事にするということ」幻冬舎


冷静に考えれば、数もこなさずに上達するわけがありません。

数をこなして修正を重ねるからこそ、クオリティが上がります。


どうにもわたしたちは、1回で完璧なものをつくろうとしがちです。

時間をしっかりかけさえすれば、完璧なものがつくれると思い込んでしまいます。


そんな人に限って、簡単にこう言います。

「頻度を下げて、クオリティを上げるんだ」


それぞれの個性を評価しなければいけない。そういう声に応えて、個性を伸ばそうとしていた。親も先生も、反復練習をすっ飛ばして、個性を伸ばすことに躍起になった。たしかに、反復練習に個性はないように見えます。でも反復練習をしないと、個性なんて出ません。

養老孟司(2023)「ものがわかるということ」祥伝社


成長とは、反復の中で起こる変化です。

成長とは、過去の修正の結果です。


そのためには、そもそもの数がなければどうしようもありません。

反復がなければ変化もないし、過去がなければ修正もできません。


くり返しになりますが、週1で書くよりも毎日書く方が簡単です。

習慣化を頑張ろうぜという熱い話ではなく、こっちの方が簡単だぜという話です。






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