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当たり前を信じてあげてもいいじゃない


2024年11月27日(水)朝の6:00になりました。

右足出して、左足出すと、歩ける。

どうも、高倉大希です。




毎朝投稿をはじめて、今日でちょうど697目になりました。

2023年の1月1日にはじめているので、もうすこしで丸2年になります。


お風呂に入る、歯を磨く、ごはんを食べる、服を着替える。

毎朝6:00に、文章を書く。


いまとなってはもはや、当たり前になっています。

何ならむしろ、書かない方が気持ちわるいくらいです。


デューイのいう経験とは、問題状況から思考、探求、リフレクションをとおして確実な知識や認識へと至る動的で連続的なプロセスのことであった。経験の連続的なプロセスが子どもたちの思考し、探求する習慣を形成し、それに付随する結果として、「思考する力」が芽生えるのであって、その逆ではない。

上野正道(2022)「ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学」岩波書店


そんな当たり前に対して、すごいと言っていただけることがよくあります。

毎朝6:00に書くことは、どうやらすごいことなのです。


自分にとっての当たり前は、誰かにとってのすごいことで。

誰かにとっての当たり前は、自分にとってのすごいことで。


だいたいは、そんなものなのだろうなと思います。

あなたにとっての当たり前は、じつは結構すごいことだったりします。


「人が嫌がるかもしれないことや、人が疲れて続けられないようなことを、延々と続けられる人」、それが「天才」だとわたしは思うんです。(中略)自分が苦労だと思わずに続けられることで、価値があることを見つけることができた人は、それだけでとてもしあわせだと思います。

ほぼ日刊イトイ新聞(2019)「岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた」ほぼ日


表情が豊かな人は、すごいなと思います。

場の雰囲気を明るくできる人は、すごいなと思います。


誰かのためにスベれる人は、すごいなと思います。

語れる何かをもっている人は、すごいなと思います。


心から笑える人は、すごいなと思います。

日々を駆け抜けられる人は、すごいなと思います。


なぜ、偉大な研究者はかくも研究分野を変えることになるのだろうか?(中略)おそらくそれは、めざしているところが高いからだと思う。視座の高さは、視野の広さにつながる。つまり、はたから見ていると研究分野を変えているように思えても、当人からするときわめて自然な流れとしてうつっている可能性が高いのだ。

石川善樹(2019)「問い続ける力」筑摩書房


自分にとっての当たり前は、誰かにとってのすごいことで。

誰かにとっての当たり前は、自分にとってのすごいことで。


当たり前を、疑え。

こんなことばかり言われますが、時には信じてあげてもいいのかもしれません。


当たり前を、信じろ。

あなたにとっての当たり前が、どれほどすごいことか。






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高倉大希
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