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怒り出したらつまらない
2023年11月17日(金)朝の6:00になりました。
怒りの先には、デス・ロード。
どうも、高倉大希です。
子どものころ、ドッジボールが大嫌いでした。
毎回のように、怒り出す人がいるからです。
当たっただの、当たってないだの。
線を越えただの、越えてないだの。
感情に任せて怒る人がいると、その場はいっきにつまらなくなります。
怒っても仕方がないのに、ぷんすかぷんすかするのです。
怒っているときは、だれでも頭が悪くなるのです。怒っているときに下す判断は、まず、間違っていると考えた方がよいでしょう。
自分が教員だったころは、怒ったら退場というルールを敷いていました。
どんな理由があったとしても、怒り出した人は即退場です。
その上で、怒りの原因になりえるものをひとつずつ潰していきます。
はじめに潰すべきは、意図してルールを破る人の存在です。
おにごっこをしているときに、わざと鬼に捕まりにいこうとしたり。
椅子とりゲームをしているときに、わざと座らずにうろうろしたり。
「みんなが容易に(自分と)同じ気持ちを共有できるはずだ」と安易に考えてしまう日本人の多くは、自然に持つものである「気持ち」というものと、努力によって人工的に作るものである「ルール」というものとの区別がつかないため、まず「ルール」と「モラル」の混同という重大な事態に陥ります。
ルールを守ることが前提にあるから、遊びはおもしろくなる。
この事実を、全員で認識します。
そして最後の仕上げに、うまくいかないことを前提に置きます。
「たぶんうまくいかないよ」と呟いてから、子どもたちを送り出すのです。
すると子どもたちは、うまくいかないことを許容するようになります。
「どうすればうまくいくかな」と、考えるようになるわけです。
過去に作られて形骸化したルールを、もっと大きな仕組みによってアップデートしていく。その責任をとるべき人が、人の上に立つべきなのです。
最終的には、うまくいかなくても「あとで話そう」と言うようになります。
課題の発見と解決方法の模索を、ちゃんと切り分けるようになるのです。
人はみんな、違います。
だからこそ、共通のルールが必要になります。
怒りでルールをつくることはできません。
怒り出したって、つまらないだけです。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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