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始まってもいないのに終わりを想像する


2024年10月10日(木)朝の6:00になりました。

いまも変わらず、うまく笑えない毎日です。

どうも、高倉大希です。




始まってもいないのに、終わりを想像して勝手に悲しくなる。

そんなことが、よくあります。


かつては、休日がそうでした。

休日が始まってもいないのに、平日を想像して勝手に悲しい気持ちになります。


いまを生きよう、だなんて軽々しく言うけれど。

未来に待ち受ける終わりを、見て見ぬふりなんてできないのです。


構図の中に未来を入れない人がおおいんです。原因・結果で過去ばかり見ていると、未来をよりよくするために問題が起こってきているケースがとても多いのに、それがわからない。

河合隼雄、柳田邦男(2013)「心の深みへ」新潮社


人との出会いも、同じです。

出会ったその瞬間から別れを想像して、勝手に悲しい気持ちになります。


そんなことを考えても仕方がないことなんて、わかってはいるけれど。

わかってはいるけれど、気がついたらそんなことを考えてしまいます。


だからこそ、近づくことができません。

別れが痛みにならないように、手前で足を止めるわけです。


うっかり他人のことを真に理解しようとし出すと、自分の人生観が根っこのあたりでぐらついてくる。これはやはり「命がけ」と表現していいことではなかろうか。実際に、自分の根っこをぐらつかせずに、他人を理解しようとするなど、甘すぎるのである。

河合隼雄(1998)「こころの処方箋」新潮社


「いなくならないからって伝えてください」

朝井リョウさんの、『正欲』という小説に登場する人物の台詞です。


命に限りがあるからには、いなくならないなんてことはありません。

それでも、「いなくならないから」と言う。


事実ではなく、意志を表した言葉です。

あのころの自分はきっと、そんな言葉がほしかったのだろうなと思います。


例えば、高校野球の甲子園大会を考えてみてください。みなさん、思ったことはないでしょうか?賞金がもらえるわけでもないし、仕事でもないのに、なぜ高校球児たちはあれほどまでに野球に情熱を燃やすことができるのか、と。彼ら高校球児は一体どのような恩恵を受け取っているのか、何を目指しているのかというと、「勝てばまだこのチームで試合を続けることができる」ということそのものです。

近内悠太(2024)「利他・ケア・傷の倫理学」晶文社


「いなくならない」と言いながら、最良の別れに向けた努力を重ねる。

わたしたちにできることは、せいぜいこのくらいです。


だいせんじがけだらなよさ。

悲しいときのおまじない。


明日の6:00も、ここにいます。

読みましょう。






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