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大きな物語を描く


2024年1月7日(日)朝の6:00になりました。

何が起きたかという物語に、満足していてはならない。

どうも、高倉大希です。




子どものころはあんなに遠かった場所が、今ではこんなに近くに感じます。

子どものころは涙を流したお別れが、今では「また連絡するね」で済まされます。


物理的な距離が、変わったわけではありません。

お別れすることに、慣れたわけでもありません。


変わったのは、自分です。

見えている範囲が変われば、そこで用いられるものさしも相対的に変わるのです。


当時と今とでは、なんというか、世界と自分の命との距離感が違う。子どもの頃は世界という舞台の真ん中で生きていた。それに較べると、今は目の前の世界がなんだか遠い。観客席に座ってるみたいだ。

穂村弘(2023)「蛸足ノート」中央公論新社


好きな映画を尋ねられたら『トゥルーマン・ショー』と答えるようにしています。

主人公が、自分に見えている範囲の外側にある世界の存在を知るという物語です。


映画『トゥルーマン・ショー』


はじめて観たときは『マトリックス』を連想しました。

ネオもまた、見えている範囲の外側にある世界の存在を知ることになる人物です。


見えている範囲が広がれば、日常の意味が変わります。

起こっていることがおなじでも、意味合いがまったく違ってくるわけです。


大きな物語が描けないと各々が目の前の正解にしがみつくしかなくなる。それに共感しない他者へは皮肉を言うしかなくなってしまいます。共感できない他者への興味は薄れ、表層上で責め合ってしまう。

湯川卓海(2023)「現代に巣食う不安の構造とファシリテーションの可能性について」MIMIGURI


目の前の問題が大きく見える理由は、あなたがそこに立っているからです。

ぐんと引いたところから見れば、べつに大した問題ではありません。


視野を広げようという、綺麗ごとをぬかしたいわけではありません。

立っている位置の問題だということを、理解しておく必要があるという話です。


もしかすると、今見えている範囲の外側にも世界は広がっているのではないか。

これがないと、目の前のできごとに振り回されるしかなくなるわけです。


大きなビジョンを描きなさい。たとえ自分が生きている間に実現できなくとも、円の一部にしかなれなくても、後に続く者たちがいつかその円を完成してくれる。

孫泰蔵(2023)「冒険の書 AI時代のアンラーニング」日経BP


自分が立っている位置を把握するためには、船を漕ぎ出してみるしかありません。

もしくは、赤い薬を飲んでみるのもありなのかもしれません。


大きな物語を描く。

その先に幸せが待っているのかは、またべつの話です。






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高倉大希
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