仕組みで覚える世界史③家来って、どこまでが家来?
王様と領主の関係をもう少し見ていきましょう。
★土地と領民
まず領主は土地を持っています。
と同時に、そこに住む人たちを、財産として持っています。
民衆は、その土地の支配者の所有物ということになります。
しかし、この所有物は、時に領主の意思に反し、自らの意思に基づき行動しようとします。
領主としては、これくらい農作物が欲しいから、領民たちにはここに住んでもらい、ここで農作物を作らせたい。
勝手に移動されたり、勝手に職業を変えられたりしては困る。
そこで、移動の自由が制限されます。
同時に職業選択の自由も同時に制限されます。
★領主権
これら領主に認められた権力を領主権と言います。
認めるのは王様です。
王様は領主の権力を認め、仮にこれが侵害されそうになれば、軍隊を出すなどして、これを保護する義務があります。
その変わり領主は、王様に対して忠誠を誓い、戦争をやるぞと言われたら、これに応えて戦場に赴く義務が生じます。御恩と奉公もこの一種です。
ただしこれは、忠誠を誓うとは言っても、家来になるのとは微妙に異なります。
★直轄領
王様の家来とは誰のことでしょうか?
そのためには王様の領地について知る必要があります。
領主がそうであるように、王様も、個人的な領地を持っています。これを直轄領と呼びます。
直轄領にも人々が住んでおり、王様の財産となります。
王様の権力が直接、しかも強力に及ぶのは、実はこの範囲くらいなのです。
★王様直属の家来
王様の直轄領も広大なので、王様1人では統治出来ません。
王様の変わりにその土地の統治をしたり、王様の身の回りの世話をする人たちがいます。
これが直接の家来になります。
では、王様に忠誠を誓った領主とは何が違うのでしょう。
★豊臣政権の場合
例えば、豊臣秀吉の政権には五大老と五奉行がいました。
最近は違う説も出ていますが、従来の説に従うと、五奉行は秀吉の家来、五大老は秀吉に忠誠を誓った有力領主になります。
五奉行の代表的な人物は石田三成です。
五大老の代表的な人物は徳川家康になります。
★石田三成と徳川家康
石田三成は秀吉に才能を見出され、豊臣家の家来として、出世していった人物です。
会社でたとえると、豊臣コーポレーションの社員となり、社員として、豊臣家の天下統一に貢献し、昇進していった人物です。
一方、徳川家康は、秀吉とは関係のない、独立した領主として、勢力を拡大していった人物です。
会社で例えると、徳川家康は別の会社の社長です。
徳川家康は秀吉に忠誠を誓っていますが、独自に領地を持ち、その土地に住む人を支配し、独自の組織を運営しています。
絵本の王様のイメージでは、家康が降参したら、家康の下にある組織は解散させられ、全員秀吉の家来になり、秀吉の組織に組み込まれ、領地はすべて秀吉のものになるイメージがありますが、そうではありません。
家来も土地も組織も、存続を認められた上で忠誠を誓うのです。
これを臣従と言います。
つまり、直属の家来は、王様の組織に組み込まれ、王様に完全に従属しているのに対して、忠誠を誓った領主は、独自の組織を維持したまま、独自な組織を率いつつ、王様に従属しているのです。
そして、王様を支持出来ないと判断すると、反乱を起こしたり、他の人を支持したりするのです。
★秀吉の直轄領
太閤検地で日本の領地の評価基準が定められました。「石高(こくだか)」制です。
石高はその土地の生産量を表しています。つまり、経済力と言っても良い。
太閤検地の結果、日本の総石高は1800万石と判明しました。
秀吉の領地は、直轄領だけに絞ると222万石です。
鉱山の収益や貿易の収入などを考慮すると、もう少し財力があるのですが、日本史の中でも、領主に対してかなり強い権力を持っていた秀吉でさえ、直接支配していた土地は全国の8%しかなかったのです。
90%以上の土地は秀吉の支配が直接及ばないというのは、歴史を学ぶ上で頭に入れておく事柄です。
★強いけど弱い中央政府
とはいえ、秀吉の直轄領は全国でトップでした。
インターネットをザッと見ると、「家康は250万石だったから、秀吉よりも領地が広かった」みたいな話が出てきますが、家康の250万石は家来の領地も含まれているので、直轄領だけの広さでいえば、秀吉の方が多くなります。
このように王様の領地は全国各地にあって、領有している土地の広さでは、その国の領主の中でもトップ(クラス)なので、王様は決して弱くはない。強いといえば強い。
ただ、直接支配が及ぶ範囲が実はそこまで広くないという意味では、思ったよりは強くないとも言えるのです。
そして、そうであるがゆえに、領主の支持が必要でした。
豊臣政権の場合、関ケ原の戦いを経て、領主たちの支持が徳川家康に移ることで、地方政権に転落したのです。
★譜代大名
さて、私は石田三成を例えとして出しながら、「失敗したな」と思っていました。
石田三成は出世していくと、広大な土地を与えられた領主になるのです。
直接の家来でも領主になる。領主でありながら、直接の家来でもある。そういう存在もいるということです。
これは江戸時代になると、譜代大名と呼ばれます。
さて、次回は王様直接の家来と領主の関係に的をしぼり、さらに深堀りしていきます。