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あなたは自分は死なないと思っている。

こんにちは。


なんだか物騒なタイトルを見て
なんとなくふらっとこの記事に
立ち寄ってくださってありがとうございます。


そうです。


僕はあなたが本当は
自分は死なないと思っている
と考えています。


いや、言い方を変えましょう。


本当に死ぬとは思っていない。


それがもっともらしいかはさておき、
僕には周りで日々ともに時間を過ごす、
家族、友達、仲間、後輩、先輩、
お客さん、知り合い、恋人、親族。

彼ら、彼女らがどうも
全員、自分は死なないと思っている
と思えてならないのです。


僕は彼らに聞きます。


死って信じてる?


彼ら彼女らはさも物知り顔で、
当たり前じゃん(笑)
って答えるんです。


そう聞くと僕は嘘つけ、と思います。


僕はこの人たちが嘘をついているような
気持ちいい顔をして平然とうそをつかれているような
何とも言えない気持ちになるのです。


もちろんここまで言っているんだから
証拠はあるんだろうな???


もちろんですとも。


証拠はあなたの生活に眠っています。


あなたはもし明日死ぬとしたら
今日どのようにして過ごしますか?


こう聞くと、

「えー、今あるお金を全部使って…」
「好きな人に気持ちを伝えて…」
「家族に感謝を伝えて…」

そんな答えが返ってきます。


つまり、明日死ぬと仮定したら、
今日の行動が変わるんです。


僕はそれを見て、「え?」って思います。


本当は死ぬなんて信じてないんじゃない?


表面的な意識の中では死ぬことを理解していても、
無意識レベルではどこか”自分は死なない”と
思っている証拠になるんではありませんか?


もっといいましょう。


決して馬鹿にしているわけではないので
悪しからず聞いてください。


世の中には、がん治療を経験した、
とか、目の前で戦争がいろいろな命を
軽く奪っていく命のはかなさを見た、とか。

あとは…大震災で大切な人を失って
死を間近に目撃していつ死ぬかわからないと
心から思った、って人いますよね?


このような人たちはしばしば

「やりたいことをやる」
「当たり前を当たり前と思わない」
「メメントモリ!(いつか必ず死ぬことを恐れるな)」

などと謳いだします。

つまり、生死の境を経験することで
死をより現実のものとしてとらえるわけです。


実に面白いのはここからで、
このような人々ですら
自分が死ぬとは本当に信じてはいない
可能性があると思っています。


「自分だから生き残れた」
「運が味方してる」
「この経験をいろんな人に伝えたい!!」


特に多いのが最後ですよね。


僕は活動自体は素晴らしいとは思いますが、
このような人たちですら、僕は死を信じない証左かな、
と思ったりしてしまいます。


このような活動は多かれ少なかれ、
他人のために」というビジネスでいう
顧客第一のような精神ですよね。


人って本当にそこまで見ず知らずの人のために
慈善的な活動ができるのでしょうか?


このような活動をしている方たちが
本当に死を信じているのであれば、
僕はこのような活動はしないと思います。


だって、自分の幸せを高めることを
するはずだからです。


僕は本心でいうと、
このような活動も畢竟ずるに
名誉、地位、お金、そういった
モノのためかな、と思っています。


とまあ、それ自体は僕の一意見でどうでもよく、
言いたいことは彼ら彼女らが死を信じているとは
到底思えないという点にすぎません。


死を信じている人がどこかの誰かのために
死は間近であるなどと吹聴する活動
するものかな?と本気で思います。


結局のところ、
ほぼすべての人間は死ぬとは思っていない。


僕はそう感じるのです。


あなたは1時間後死ぬとしたら
何をしますか?


あなたは1日後死ぬとしたら
何をしますか?


あなたは1週間後死ぬとしたら
何をしますか?


あなたは1か月後死ぬとしたら
何をしますか?


あなたは1年後死ぬとしたら
何をしますか?


あなたは100年後死ぬとしたら
何をしますか?


こう考えていくと、
こう問われる前と後で行動内容が変わる
自分は本当に死を信じているのでしょうかね?


そう。


あなたは自分は死なないと思っている。




あなたの貴重なお時間で、僕の稚拙な文章をお読みいただき本当にありがとうございました。何か改善点、ご意見などおありでしたらお気軽にコメントいただければ幸いです。