痛いのは嫌だ。でも痛いのは幸せだ。
こんにちは。
よくこんなシーンを
目の当たりにしませんか?
「ママ!!痛いのは嫌だよぉ!!」
と駄々をこねてそれを諭す母。
「痛いのっていや?」
「いやに決まってんじゃん(笑)」
そう言って何言ってんだお前、
って顔で笑う友人。
「いてぇぇぇ!!死にそうぅぅ!!」
そう言ってケガした箇所をおさえる男。
こんなシーンは極めて
ありふれています。
ありふれすぎています。
このいくつかのシーンには
一つだけ共通項があります。
「痛みは避けたいもの」
という認識です。
この際、本音を言ってもらいたいのですが
痛いのが好きな人はいるでしょうか?
というと、おそらく本当のマゾくらい
だと考えられるわけです。
あなたもおそらくですが、
ありとあらゆる痛みがなくなれば
本当にうれしいだろうと思うわけです。
今から足を切断する。
麻酔、鎮痛剤などは一切なし。
そんな身の毛がよだつ様なシーン
を思い浮かべてくれれば
即断でしょう。
でも僕は一つ痛みに関する
別の観点を提示したいです。
それは痛みというものは
長期的に見たら幸せの核
だという観点です。
先天性無痛無汗症という病を
あなたはご存知でしょうか?
この病はとても興味深い。
この病にかかると、
生きている時に痛みを
一切感じなくなるというのです。
何それ!最強!
そう思った方もいるかもしれません。
さらに深く調べてみましょう。
すると、
平均寿命についてのデータが
現れます。
それをみていると、
長くて25歳なのだそうです。
これはどういうことでしょうか?
というのも、痛みを感じること、というのは
別の言い方で「侵害受容」と言います。
侵害受容が機能不全であるとは
どういうことかというと、
自分の身体への危機(侵害)を
知覚できない、ということにほかなりません。
具体的に言うと、この病の患者は
指をかみちぎったり、爪を剥いたり、
痛みを感じればやるはずのないことを
やってしまいます。
また、例えば裸足で走って
足を地面のガラスでずたずたに
切ってしまっても気づかないのです。
見るまで気づかないのです。
これは恐ろしいことです。
痛いと感じることができないために
我々が感じている痛みとは
なにかも患者さんにはわかりません。
そもそもの行動パターンが
全く変わってきてしまいます。
そもそも侵害受容は
体の危機を知る重要なツールです。
もちろん傷口などにも
なかなか気づかず、
大半の患者さんは感染症などで
25歳までに命を落とすそうです。
いや、そこまで生きることができたら
凄いほうだそうです。
この病は私たちが当たり前に
享受している「痛いと感じることができる幸せ」
に気づかせてくれます。
痛みを感じられて、本当に良かったですね。
あなたの貴重なお時間で、僕の稚拙な文章をお読みいただき本当にありがとうございました。何か改善点、ご意見などおありでしたらお気軽にコメントいただければ幸いです。