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チームとは何か

(法人ではない)5月末までの職場の仕事は、研究や非常勤講師との兼業を想定したポストで、元々三人体制で行っていたもののうちお一人分を引き継ぐ形で担当することになったものだった(入職時はそのポストの下?で作業する身分だった)。その後、もうお一人が専任になられるタイミングでその方の業務も私が引き継ぐ形になり、三人分のうちの二人分を私、もう一人分を、私より数年後だったかに前任の方から引き継いだ方(Aさんとする)と一緒に分担する形でしばらく勤務していた。

しかし2020年の夏に、Aさんが急逝した。お互いコロナを警戒していて、最後にお会いした時にも「感染、気をつけましょうね」なんて話していて、当たり前にまた翌週、会うことになるものだと思っていた。しかし、その日は訪れなかった。
週末、本当に突然のことだったらしい。翌月曜日にご家族から職場に連絡が入り、その後、大混乱。私より年上だったけど元気で明るく、優しいお姉さんという感じの方で、仕事も丁寧で、気持ちよく協働できていた。同じく旅好きおいしいもの好きで、しばらく海外で教えていらした時期もあって、価値観が合うことも多く、プライベートでも同僚と女子会をしたりしていた。
さすがの私も全く想定していなかった。心的な喪失感も大きかったけれども、何より、到底新人がいきなり担当することなどできないわりと大きな業務担当分が空白になってしまった。

上司、専任になり定期的な出勤はなさらなくなったものの籍をお持ちの前任者お二人と会議を開いた。そしてAさんに業務を引き継いだ方に引き継ぎや必要な場合はサポートをしていただく形で私がAさんの分も担当をすることになった。つまり、元々三人で担当していた業務を、実質私一人で行うことになった。

兼業前提のポストなので出勤は固定ではなく、必要な時に必要な分、行う形だった。
2020年度は法人元所属では例年通り11か12コマの担当をしていたものの、その年の3月にもう一つの職場(だいたい7コマ、少ない時は5コマの担当だった)を退職していたのでその分の余力が私にはあった。
加えて、Aさんとはよく話し、一緒に作業、互いの業務のチェックもしたりしていたので、その過程で、新しく担当することになった業務の流れの主な部分は事前に把握できていた。細かい部分は前々任の方から引き継ぎを受け、後は基本的に残っていた資料からなすべきことを逆算していく形で、多少大変ではあったけれども、概ね滞りなく、新しい担当分も軌道に乗せていくことができた。

このような状態なので、私は自身の考えを越えた部分からも、絶対に感染をしてはいけなかった。そしてそれを上司もよく理解してくださった。

上司とは個人的な付き合いはほとんど無かった。気さくで顔も広い方なのだけれども、私は何故かあまり個人的に話をすることが無かった。しかし仕事の面において一定の信頼をいただいているということは感じられていた。

コロナの市中感染が広がり始めた頃、法人元所属の「嫌なら出て行け」でほとんどのコマは断ったものの、出勤日は特にノーガード研究室の環境が脅威で、他にも、基本的に授業が終わるとすぐに退散してはいたものの、対策の緩い校内ではいつ感染させられてもおかしくない、自分が感染していた場合、その感染を別の職場に持ち込むことになるし、絶対に止めてはいけない定期的にタイトな時間的制約のある業務(しかも一人で多くを抱えている)が止まることになると私は懸念していた。

そのため、折に触れて、それまであまり話をすることとなかった上司と、業務形態について話をするようになった。

2021年度は、もはや忘れられたTokyo 2020(2021)が行われることになっていて、その開会前後は従来のルーティンでは外部との調整会議等の業務的に重要な山場となっていた。この時期に電車通勤をすること、特に外部の重要なポストにある方々とお会いして、特に(ノーガードな学校から)私が感染を持ち込むことを、私は危惧した。
そこで、「それまで複数人体制で作業を行なっていたことにより発生していた業務のタイムラグ等を整理し最適化すると、このように業務を前倒しできる可能性がある。余裕をもったスケジュール体制にしておけば感染リスクが高い時期に万が一のことがあったとしても吸収できるかもしれないし、別々の動きをしていたものを再編することは相手先にも有益なのではないか」と、組み直したスケジュール案と共に提案をした。
上司はそれを基に(内部会議後、)外部との調整の手筈も整えてくださって、その後、各所との調整の結果、組み直した前倒しスケジュールで業務が行えることに(そして私はオリンピック期間は出勤をしなくて済むことにも)なった。

加えて、2022年度は、通常よりは少ないものの法人元所属で受講者人数の少ない9コマの担当をすることになり、危険な環境下(授業外の校内、特に研究室)で長時間滞在により感染させられるリスクが激増した。
ここでも私は校内で感染させられるリスクが非常に高いこと、万が一の時にその感染を持ち込みたくないこと、特に外部の方に移すのは職場にとっても適当ではないだろうということを上司に伝えた。そして、担当業務の調整検討を再び依頼した。
具体的には、内容的に専門知識や経験を持つ者にしか行えないことと、その他の者でも行いうること(特に外部の方とお会いする場合)を整理し、後者の担当を主としてフルタイム事務職員の方に移行させ、(電車に乗らなければならない)出勤日数を減らしたい、加えて、職場への感染持ち込みリスク軽減のため、どうしてもという時以外(自分ひとりで行える作業を黙々とすればいいものに関しては)週末に作業を行いたいと伝えた。
これについても、おそらく特に週末出勤については内部でも色々な意見が出ただろうとは思うが、おそらく上司が間に入ってくださったのだろう、全て認められた。
さらに、どうしても出勤する重要な会議などの日にも、その中で必然性のある時以外は別室での作業に対応していただいた(これも、事前に「校内での感染リスクが非常に高い、感染を持ち込みたくない」と事前に相談していた)。

ちなみに担当業務の委譲は、時間制勤務ではダイレクトな収入減を意味する。私には収入よりも「感染させられないこと」「感染させないこと」のほうが遥かに重要だった。

この職場では、たとえ「客員」であったとしても、グループ内で感染者が出た場合には情報が共有されていた。そして何か不安や不明点があったら言ってほしいと声をかけていただいていた。(一方、法人元所属では、確か2022年の途中まで、生徒の感染情報も、そして最後まで、教職員の感染情報も、専任達の間では当然共有されているものが「非常勤には」伏せられていた。)

環境的にもドア開放+サーキュレーターでの換気、マスク、消毒液の設置など、基本のキの部分は5類化前までは行われていたし、「互いを感染させないように」という配慮の共有がなされていた。部屋の入り口付近に置いてある手指消毒の実施率も非常に高かった。(法人元所属は特に専任が文字通りのノーガードで、自らの感染はさておき、「他人を感染させるリスクを全く考慮せず」、リスクを気にする者がせめて換気のためにと必死で開けた窓やドアはわざわざ閉め、あえて空気を滞留させた上で自らはノーマスクで寛ぎ、特に「雇って仕事を与えて 部 屋 に い さ せ て や っ て い る」非常勤等には一切の配慮をせず、リスク管理に必要な情報は求められても与えず隠蔽し、「嫌なら出て行け」と「自己責任」で全てを片付ける体制だった。)

「チーム」とはいったい何なのか。

非常勤を人権や尊厳を持つ個人として「ではなく」、都合よく使い潰せる捨て「駒」、「人柱」としか見ていないのが明らかであるにもかかわらず、口先だけで白々しく内実の伴わない主張をしたところで、協働関係は生まれない。
人権、多様性、配慮、尊重、対話、国際性その他全て同じことだ。
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帰国子女受け入れ校である元所属(高校基督教大学高等学校、通称ICU高校、ICUハイ、ICUHS)「人権」や「多様性」を謳っているはずの国際基督教大学(通称ICU)法人における感染対策にかかるパワハラ追い出しとハラスメント対策の機能不全について全体的なことはFrom middle of nowhereへ。
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5月までの職場も上司も、そもそもそのような「やってる感」を演出すことも無かったが、法人元所属とほぼ同じ期間を継続して過ごしてきた中で、たとえプライベートな繋がりをほとんど持っていなかったとしても、私は自分をチームの一員だと認識していたし、おそらく上司や同僚もそう思っていてくださったろうと認識していた。だから、持続可能な勤務を継続するために私は「対話」を求め、そして、上司や職場もこちらをそこに必要な仲間であり尊厳を持つ個人であると認識してくださっていたであろうことによりそれは成立していた。加えて、きちんと相手を見る目、聞く耳も持っていてくださったから。(法人元所属においては、コロナ前、組織の敵としてロックオンされる前は、専任との関係も良好で、私的な関係もあり、私はむしろ非常勤の中でも専任との交流が多い方で食事やカラオケに一緒に出かけることなどもあった。その一方で、特に時間制設定等について、私以外の非常勤の方に向けられた理不尽な仕打ちとそこから垣間見える「嫌なら出て行け」で「使い捨て」られる「駒」「人材」としての非常勤への視線については、私は以前からいかがなものかと思っていた。そして、自らの件の詳細は別立てになるが、「ロックオン」後の徹底した「不対話」「敵への仕打ち」「追い出し」と共に発せられた「チーム」の語には乾いた笑いが出たほどだ。)

専門性や知見についても、5月までの職場は、私が担当している業務に必要な知識や見識について、実際に上司も(同じく「専門性を有する方」であるため)ご存知で、だからこそそう簡単に替えがきかないことでもあるし、私も周りも「感染しない」こと、「持続可能な勤務形態を模索する」ことは皆の利になると、適切にご理解いただけたのだと思う。実際、その上司の下で動いていた専門性が必要な業務を行う(私とは別担当の)同僚も、加えて上司自身も、感染流行状況に応じて適宜リモートワークに切り替える等して、「自分も人も守る」、安定的な勤務を続けていた。結果、少なくとも私の在籍していた5類化直後までの間に、上司の下で勤務していた者の中での感染者は出ず、業務に穴が開くことも、チーム内で感染を連鎖させるなどという不毛の極みも起こらなかった。

都合の良いときだけ「チーム」呼ばわりされたところで、それに首肯できるものではないし、「チームだ」と根拠も無く主張すれば「チームになる」ような「である」の世界の横暴に、当たり前に相手を染め、支配できると思っているこそことが、その個人あるいは組織の、暴力性、無意識の本質である。法人元所属がその露呈にも気付かず、「一切の対話を拒否した上」で、「専門性」を悉く無視したまったく合理的でない時間制を丸々受けよ、それでいて「知見」を共有せよ等と平気で言えること、それで相手を屈服させられると思っていることの裏に、圧倒的なパワーバランス、権力構造があることに、何故法人は気付かなかった、あるいは頑なに認めようとしなかったのか。(詳細は別立てになるが、私は、本来私が受け持つべき、入職後常に私が担当をしてきた、私の所属科の講座を担当させてほしいと何度も法人元所属にも、人権委員会にも、人事部にも伝えている。しかし一切の対話も調整も法人元所属は拒否し、それを人権委員会も人事部も黙認した。)

人権とは、対話とは、ハラスメント対策とは、いったい何だったのか。

ひたすら虚しく思う。

感染リスクを気にしながらも、一方では「対話」と互いに利する形での「合理的配慮」によって充分勤務を継続できていた者を、他方はまず「圧倒的に有意な立場」を利用した有意な立場からの換気の妨害、苦痛を認識した上でのノーマスクという嫌がらせでPTSD、フラッシュバックの再発と職場(研究室)での呼吸困難を起こさせた。その後も様々なパワハラ、最終的には適切な業務設定をあえて崩し、「受けないと分かっていた業務のみを指定する形の追い出し」をかけることで、下僕のくせに物申す「無期雇用」の「組織の敵」を「辞めさせる」ことに成功した。
法人でハラスメント対策を謳う「人権委員会」は、当該分野の知見を持っていれば明らかに「異常」だとわかる時間制設定を「不合理は無い」と、ありえない判断をし、さらにハラスメントの存在は認めなかった。しかし、その一方で、法人が設定した離職理由は「事業主又は他の労働者から就業環境が著しく害されるような言動を受けたと労働者が判断したため」であった。ありもしないハラスメントを当人が勝手に認識した、つまり「全ては被害妄想だ」という認定であり、その「利用」である。

いったい何だったのか。私が長く過ごしてきた日々、かつて私を救ったはずのキャンパスの存在は。

「終わり」への道を作ったのは法人元所属、その後、心的拠り所全てを薙ぎ払い防波堤も破壊しつくし、道を整備したのは法人対応であったと、書き残しておく。
5月末までの職場への退職願を提出する直接的なきっかけが、その前日に、人権委員会への再申立てを監査に差し替えるという通知のみのたった数分の呼び出しが、「ノーマスクがいる屋内」で行われたこと、それにより身体面能力面などでは充分労働可能であった「労働人口を法人は直接的に1人分削減し」、加えて、自死者を生産することになったということも。この日に銃弾が込められた。

関連資料については、存命中は部分公開だが、「その時」には全公開となるのでお楽しみに。


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