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村上春樹の小説について語れない。

療養2日目。
といっても、みんな元気です。
雨の日は気分がラクです。なんとなく内に籠ることを許されているような気がして。

今日が平日で、うちの外ではいつもの木曜日が過ぎていっている、というのが不思議な気すらします。
オンライン授業の向こうには、確かにガヤガヤした雑音と、マスク越しに声を張る先生がいる。


楽しみにしていた、秋の始まりともいえる9月初日。…働きたかった。
新しいコーヒー、飲みたかった。
モンブラン、食べたいなぁ。

今日も雑念を抱えつつ、とりあえず本を読む。
昨日に続き、『三行で撃つ』。

出会うことばに、ため息しかない。
線を引きたくてウズウズする箇所がたくさんあるのに、図書館の本だからできない。
これは、買うことになるな。

いちばん望ましいのは、図書館で借りて読んだけど、やっぱり自分の手元に置いておきたいので、書店で買い直しました、というケースですね。僕としてもそういう本を書きたいです。

『村上さんのところ』

村上春樹氏も、こう言っています。
私もそうやって買った本がたくさん。


今、小説部門では(5冊くらい並行して読んでいるうち、長編小説は1冊だけ)、『ねじまき鳥クロニクル 第3部』を読んでいます。

初めて手にした村上春樹が、この『ねじまき鳥クロニクル』で、第1部の残酷な描写がショックすぎて、そこであきらめた過去がある。
その場面の記憶しかなくて、内容は今年になって改めて読み始め、初めて目にするかのようでした。

20年越しのトラウマ克服、という私にとって特別な物語なのです。


村上春樹の小説が好きだけど、そう、すごく好きなんだけど、好きな理由を自分の言葉でうまく表現できない。

言葉で表せない、と書いてしまうと、考えることを放棄していると言われるけれど、これに関しては反論できません。

「意味はようわからんけど、なんかおもろいし、読んだあと腹にたまるんや」(なぜか関西弁になる)というのが僕の考える小説の理想のかたちです。

『村上さんのところ』

今はご本人のこの言葉に甘えています。

言葉で表すためにもっと読みたい、考えたい、というのが、今私が密かに悶えるように思っていること。
まだ途中の小説を目の前に言うようなことでもないけれど、今まで読んだ小説を、もう一度いや何度も読み返したい。子どもがそうするように。
ゆっくりじっくり読みたい。

でも、新しい本も読みたい。
この折り合いをどうやってつけようか、悩んでいます。


とは言え、しあわせな悩みでもあるのですが。


家にいてこんなことばかり考えながら、一日は確実に過ぎていき、無駄な罪悪感と無力感はやはり拭えず。

お付き合い、ありがとうございます。


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