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【三の丸尚蔵館 所蔵】皇室固有に限らず‥上流貴族と贈答品ネットワーク

先日参加したギャラリートーク冒頭で全く知らなかった歴史的な文化を知った。皇室に伝来する美術品は必ずしも天皇家固有のものとは限らず、その背景には皇室上級貴族の間で行われていた贈答品ネットワークの存在があった
 
これは、三の丸尚蔵館所蔵品以外も含めた中世から近世の名品と言われるような国宝・重要文化財などの伝来を理解するうえで基本となる部分ではないかと。この背景をふまえると《なるほど、だからこう伝わっていたのか》と点と点が繋がった

文化財の伝来を考えるときの重要事項、
しかし一般的には知られていない情報についてまとめ


皇居三の丸尚蔵館は5番目の国立博物館

東京国立博物館
京都国立博物館
奈良国立博物館
九州国立博物館
皇居三の丸尚蔵館 ←New

名前が他と違うので意外だった。この並びに入るという


ギャラリートーク概要

皇居三の丸尚蔵館 開館記念展
皇室のみやび―受け継ぐ美―
第3期「近世の御所を飾った品々」
会期
令和6年(2024)3月12日(火)~5月12日(日)

【第3期】は京都御所・桂宮家といった
皇室関連の組織に伝来したものを中心に展示
ギャラリートーク 書跡の回に参加

展示品の説明プレート右上に
「京都御所」「旧桂宮家」と伝来の場所が色分けされている
この背景にはさらに贈答品ネットワークが存在する


 展覧会のテーマでもある 《御所》とは

主に今でいう京都御所  禁裏きんり、禁裏御所ともいう

(全て同じ意味) 
内裏・禁中・禁裏・御所・禁裏御所・京都御所  
 天皇が住み,儀式や執務などを行う宮殿のことを指す

京都御所に伝来した品々を御在来という

皇室関連の組織とは

今回の展示で知った限りの場所としては、
・京都御所・禁裏御所(天皇の住まい)
仙洞御所せんとうごしょ(上皇の住まい)
・桂宮家
など

伝来の美術品 近世の御所での使用用途とは

観賞用やインテリアとして天皇がお手元で持っていた


皇室伝来の背景にある贈答品ネットワーク

▼ギャラリートークでの説明をもとに整理
皇室に伝来しているものは天皇家固有のものと考えがちであるが、必ずしも固有ではなく、中世から近世にかけて「ある一定の層」で共有し、贈り物(儀礼)をし合うことでの関係性の維持が行われていたという
(※) 中世:平安時代末期/鎌倉時代/南北朝時代
      室町時代/安土桃山時代    
   近世:江戸時代

天皇家であれば五摂家の上級貴族の間で、
中級貴族であれば中級貴族と、
下級官人であれば下級官人と、
というように同じ層で同じレベル感の贈り物を繰り返し送り合うことで関係性の維持を図っていた

▼そもそも上級貴族 五摂家とは

説明に五摂家の筆頭近衛家がよく出てくる


平安時代末期、鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、
安土桃山時代、江戸時代の文化としてぐるぐるまわる贈答品

このように、皇室と上級貴族である五摂家とのネットワークによって贈答品が贈り贈られ、その贈答品の最終地点が京都御所などの皇室関係の組織だったものが、宮内(省)庁に伝わり、現在 三の丸尚蔵館に伝わっている


皇室と五摂家には同じようなものがある

贈答という形で共有していたので、例えば皇室(禁裏)が持っていたものが五摂家の近衛家にある場合もあるし、近衛家が持っていたものが皇室(禁裏)にあるということがいえる



贈答品ネットワークをふまえ三の丸尚蔵館の所蔵品の伝来を想像してみる

素人が断片的に知り得た情報を元に当てはめてみた

皇室のみやび―受け継ぐ美― 第3期展示

京都御所伝来 更級日記(国宝)  藤原定家筆 

【鎌倉時代】藤原定家が更級日記を書写する→定家本人or定家の子孫が天皇家に献上(?)→〇〇天皇(?)→【江戸時代】後水野上皇(記録あり)→後西天皇(記録あり)→〇〇天皇…→宮内省→宮内庁→三の丸尚蔵館 

※保存状態が綺麗で大切にされてきたと分かるので天皇家で大事にしまわれていた?
※藤原定家の場合、中級貴族なので贈答品ネットワークの中では天皇家とは別の層にあたるが、勅撰和歌集(天皇の命)の撰者に三代連続でなっている、かつ、宮廷文化の象徴「和歌の家」なので特別枠と予想

更級日記 (国宝) 藤原定家筆 鎌倉時代

京都御所伝来   雲紙本和漢朗詠集(国宝)伝藤原行成筆

【平安時代中期】藤原行成が書く(現在の研究では源兼行と言われている)→〇〇天皇(?)→〇〇天皇(?)…→【江戸時代中期】近衛基熈→〇〇天皇…→宮内省→宮内庁→三の丸尚蔵館
※贈答品ネットワークで行き来はあったものの「これは容易に開いてはいけない」とほとんど開かれず、どこにあっても最重要の宝物として大事にされていた?!

雲紙本和漢朗詠集(国宝予定)伝藤原行成筆 平安時代

旧桂宮家伝来 源氏物語図屏風 伝狩野永徳 

【安土桃山時代】狩野永徳もしくはその一門が描く→桂宮家→宮内省→宮内庁→三の丸尚蔵館
※旧桂宮家の祖である八条宮智仁親王の御殿の襖絵だったものか

源氏物語図屏風 伝狩野永徳 安土桃山時代
光源氏  見逃させてくれないのぞき感


皇室のみやび―受け継ぐ美― 第1期展示

国宝 高階隆兼たかしなたかかね筆 春日権現験記絵かすがごんげんけんきえ 
【鎌倉時代】宮廷絵師 高階隆兼によって描かれる→春日大社→[五摂家]鷹司家→明治8年 鷹司熈通 皇室に献上→宮内省→宮内庁→三の丸尚蔵館

高階 隆兼 《春日権現験記絵》 1309年頃 鎌倉時代 部分
皇居三の丸尚蔵館  出典ColBase
文化庁広報紙の説明

今回の展覧会以外の三の丸尚蔵館 所蔵品

西行書状  

【鎌倉時代】西行が藤原俊成・藤原定家親子宛に書状を書く(定家29歳以前に受け取る)→藤原定家が晩年まで大事に保管→定家72歳出家の際に西行の書状裏面を利用して明月記(定家の日記)を清書。※紙背文書 →どこかのタイミングで明月記から西行の書状の面が剥がされる→[五摂家]近衛家→明治11年近衛忠煕が皇室に献上→宮内省→宮内庁→三の丸尚蔵館

西行書状  西行筆  皇居三の丸収蔵館 
西行の貴重な真筆。 西行が藤原俊成宛に送った歌合(歌の試合) の判定者藤原定家へ督促の文
西行「だいぶ待っています。.父の俊成殿はすぐ返事くれたのに息子の定家さん遅いです。(死期も近いので)早く返事下さい
※円位(西行の僧名)書状と表記されている場合あり

五島美術館の西行展で初めて見て、
なんて自由な書き方と好きになった
↓その魅力が記事になっていた

 皇居三の丸尚蔵館館長 島谷弘幸さんの連載
アートの森【書の楽しみ】西行の非凡な空間感覚


凄すぎる…明治に近衛家から献上された驚くべき贈答品  

上記の西行書状も含め、明治11年に近衛家から皇室へこれほど多くの一群の品が献上された。(皇室と同じレベルのものが五摂家にもあるというのが納得できる…) 現在、三の丸尚蔵館の平安時代書の名品の大半はこの時のものだという。(展覧会の図録にこのあたりの献上について詳細記載)

贈答品ネットワークをふまえると中世から近世で天皇家が持っていたものが近衛家に贈られ、いわば天皇家に戻ってきたというようなものも含まれているのではと想像

明治11年近衛忠煕 献上の皇居三の丸尚蔵館収蔵作品一覧

《緑色》藤原定家の家(御子左家・冷泉家)が
当初持っていたと思われるものが
近衛家にどこかのタイミングで伝わったもの

中級貴族の冷泉家から天皇家へ献上し、
それが近衛家に伝わったのか?
冷泉家(中級貴族)から近衛家(上級貴族)に贈答して伝わった?
明治11年の皇室献上までの経緯が気になる


三の丸尚蔵館HP 伝来が記載されている

収蔵品を検索すると「伝来」の項目に記載あり

そういえば、東博の創立150周年 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」も展示品の横に東博への伝来が表示されていた。東博にいつ来たのかという観点、あまり見たことのない表示で興味深かった



皇室コレクション保管施設の歴史(正倉院だけじゃない)

皇室は古くから美術品を集めて蓄積することで芸術文化の普及・発達・保存の役割を果たしてきた。現在は三の丸尚蔵館がその役割を担っている

保管する場所として御所以外に以下のような所蔵施設があったと図録に説明あり。正倉院以外は知らなかったので各宝蔵の関連事項を調べてみたところ興味深い。これらの宝蔵や文庫の存在も皇室由来だと知っておくと、さらに伝来の理解がすすむ



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贈答品ネットワークを知るとより背景が分かる

◼️ギャラリートーク 
雲紙本和漢朗詠集 伝藤原行成(国宝予定)編

◼️ギャラリートーク
更級日記 藤原定家筆(国宝)編

◼️皇居三の丸尚蔵館館長 島谷弘幸さん【書】の連載
三の丸尚蔵館オシになりそうな素敵な記事の数々


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