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日本史最大の謎!それは武士がいつどのようにして生まれたのか?約700年間にわたり日本を支配した"サムライ"のルーツに迫る!『フワッと、ふらっと、武士の起源の法史学』

 日本史最大の謎。

 それは、約700年にもわたり日本を事実上支配してきた武士の起源。

 いまだ諸説があり、決定的な学説はありません。

 平安時代の平家政権、

 そしてその直後のより武士による政権が強固となった鎌倉時代から明治になるまで、

この武士階級が日本の実質的な為政者いせいしゃであったにもかかわらず、

その武士がいつどのようにして生まれたのか、

一体何者であったのか、はっきりとわからない謎の存在であったというのが、日本史の面白いところです。

 武士の起源については、主に

① 武士在地領主論

② 武士職能論

③ 武士国衙軍制論ぶしこくがぐんせいろん

の3つの説があって、

小中高の歴史教科書などでは、

「武士在地領主論」が採用されているものと思われます。

(https://bunshun.jp/articles/-/10535 日本史の長年の謎――武士はいつ、どこで、どのように発生したのか?著者は語る 『武士の起源を解きあかす』(桃崎有一郎 著)より以下引用)

『王臣子孫とは源氏や平氏を名乗った天皇の子孫や、藤原氏など上級貴族の子孫のことです。彼らは平安時代に入ると、どんどん増えたのですが、就ける官職の数が追いつかず、十分な財産も相続できなかったので、都で食いっぱぐれていきます。(中略)そんな彼らが地方に進出して、地方豪族と血縁を結び、ギブアンドテイクの関係をさらに深めていくうちに出現したのが、王臣子孫をトップに担ぎ、地方豪族が家臣として仕える形態の武士団だと考えられます。』

(引用終わり)

 この著者がどの学説を支持しているのかは不明ですが、概ねこれが「武士在地領主論」的な考えではないかと思います。

 しかし、近年武士の起源については「武士職能論」・「武士国衙軍制論」という「軍事貴族」というものに重きを置いた学説がにわかに有力にはなってきています。

(以下、両説を「近年の有力説」といいます)

武士在地領主論」と近年の有力説との違いは、

武士在地領主論」は、

「まず地方の在地領主(豪族や有力農民)が、領土の自衛のために武装し、武士団の権威付けのために王臣子孫貴族おうしんしそんきぞくを棟梁に据えた。」

というもので、

下から上への流れ、

地方から中央への流れであるのに対して、

近年の有力説は、

武芸を家業とした京都の有力貴族(これを軍事貴族といいます)が、

地方に赴任した際に、

経済的心配がなく、職務に専念できるよう、

赴任地の領地を公からもらって経済的基盤も築いていた。

一旦もらったものは、地方の領地であっても、死守したくなるもので、よって領地の自衛団を組織するようになった。これが武士の起源。」

というもので、

いわば上から下への流れ、中央から地方への流れになっています。

 武士の戦い方は、重装長弓騎兵じゅうそう ちょうきゅう きへい

(鎧兜を身にまとい、馬を猛スピードで走らせながら、長弓を放つ)

という、

世界に類を見ない特殊なものです。

これで元寇を怯ませ、蹴散らしました。

(これも近年の有力説で元寇を蹴散らしたのは台風ではなくて、重装長弓騎兵の鎌倉武士だったというものです)

 重装長弓騎兵は、重い甲冑を着て、馬に乗って、走りながら弓を放つわけですから、

このような戦闘は素人にできるわけがない、

幼いころから毎日トレーニングを積まないとできないもので、

地方の農民や領主等が、

農作業や他の仕事の片手間にできるわけがないし、

そもそも馬は、今で言うと戦闘機ぐらいの価値のあるもので良馬を育てるのも片手間でできないし、

広い牧場も必要になることから、

非常に財力のある、特権階級の中央貴族出身者でないと重装長弓騎兵軍団を組織することができない。

 よって武士の起源は最初に、地方の有力農民や地方豪族ありきではなく、

最初に、中央・京都の有力軍事貴族ありきではないか、

というのが近年の有力説の要旨です。

(軍事貴族の代表的な存在である源氏や平氏の起源については以下をご参照ください)

 なお重装長弓騎兵戦術を、いかにして軍事貴族が身につけたかは以下のとおりではないかとされています。

 朝廷が蝦夷を征討した際に、

捕虜とした者達(俘囚ふしゅうといいます)が、

もともと得意としていた戦術が、重装長弓騎兵戦術で、

朝廷はこれを治安維持に使えると考え、俘囚を一時期、警察官のような役職につかせ国内の治安維持に当たらせていました。

 しかし、俘囚が治安維持をやっていたのは最初の頃だけで、

途中から俘囚が反乱を起こすようになったので、

「もう君たちいい、帰れ!」

ということで、俘囚を奥州おうしゅうに帰しました。

 その後、俘囚を治安維持に使っていた時に、

俘囚の管理をしていた、王臣子孫である、

平氏や源氏、藤原氏などの中央貴族達が、

任期中に、俘囚の重装長弓騎兵戦術について熟知することになり、

子息をはじめとする一門に英才教育を施し、

このようにして高度な武芸を家業とし、

そして俘囚の代わりに、中央~地方の治安維持に当たるようになった。

 また民間軍事会社のような組織ともなり、摂関家や院の私兵も務めるようにもなった。

(摂関家とは何か?ついては以下をご参照ください)

 これが、武士の起源だというのが、近年の有力説だと思われます。

 また実際に、軍事貴族たる源氏や平家は、中央の摂関家や院の近習を務めました。

 大河ドラマ『光る君へ』でも、

主人公・紫式部(まひろ)の娘・賢子かたこの初恋の相手が、

刀伊の入寇といのにゅうこうを撃退した、

藤原伊周・藤原定子の兄弟である藤原隆家の、

近習を務める軍事貴族・平為賢たいら の ためかたの従者である、武者・双寿丸という設定でした。

 そして、摂関家が強くなれば、摂関家についた軍事貴族たる源氏も強くなる

院が強くなれば、院についた平家も強くなるということで、

中央で誰についたのか武士の勢力も決まる、

つまり上から下へ、中央から地方へという流れになっていて、

従来の説の下から上へ、地方から中央へではないのではないかというのが近年の有力説ではないかと思われます。

 武士の起源についてはこのように、

下から上か(地方から中央へ)、

上から下か(中央から地方へ

の議論が錯綜するように近年なっているようです。

 なお武士団は、

配下の武士が、王臣子孫ばかりであろうが、

在地の有力豪族・農民出身者ばかりであろうが、

いずれにしても、

所属する武士中、最高位の王臣子孫を棟梁に据えますので、

(当時は家格が最優先でしたので、そうしないと武士団がまとまらなかったのでしょう)

武士の起源が上から下であろうが、

下から上であろうが、武士団最貴種を神輿に担ぎます。

 鎌倉時代でいうと、

北条氏は一応自称平氏ということになっているのですが、

その始祖ともいえる北条時政の父が、誰かはっきりわからないぐらいですので、

出自的に征夷大将軍左右大臣等になれる家格ではなく、

(大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも、後鳥羽上皇が「我忠臣である源氏はいいが、北条のような田舎者に幕府を仕切らせたくはない。」的なことをいうシーンがありました)

実力的には将軍になれる力があったのですが、

(上皇を島流しにするぐらいですから)

北条の家格がそれを許さず、清和源氏の棟梁をトップに据えて仰がなければならず、

源氏三代の将軍の血筋が途絶えた後は、北条自らが将軍にはなれないので、

しかたなしに中央の摂関家や皇族の子息などを、

鎌倉武士団の棟梁(将軍)に据えざるを得ませんでした。

傘下の武士達(御家人)も、

北条が名実ともにトップではまとまらず、

(清和源氏末裔である足利氏、新田氏、武田氏、平賀氏、阿野氏などの北条よりも家格が高い御家人は山ほどいたので)

名目だけでも、

御家人の誰もが及ばない家格の上級貴族(摂関家や皇族)がトップでないとまとまらなかったのではないかと思います。

 最終的には北条の横柄が過ぎ、有力御家人達は、北条を見限り、

日本の権威の最高峰にある後醍醐天皇をトップに据え、鎌倉幕府を打倒しています。

 幕府を打倒するには、将軍よりも高位の権威をトップに据えなければならなかったということで、ここにも武士団の特徴が出ているものと思います。

 その後も、武家の中では、最も王臣子孫的権威があった

源義家の直系で武家の中で最も家格が高かった)

足利氏を棟梁として室町幕府が建てられています。

 なお、徳川家康については、武士の中で最も家格が高くなるように系図を工作し、

清和源氏・源義家の末裔だということにして、徳川幕府を開いていますが、

(詳しくは以下をご参照ください)

江戸幕府もこのように無理やりにではありますが、形式的に武士団の基本的性格を踏襲しているように思います。

 武士=武士団とすると、武士の起源が諸説分かれるので、武士団の起源も説が分かれ、

諸説あるということになりますが、

武士団は武士の集合体であって、武士とイコールではないと考えると、

その基本的性質は、

「最貴種を棟梁に据える武士の集団」

という統一的な定義づけができるかもしれません。

 もちろん、ここまでの話で、武士の起源がようやく明らかとなった・・と言えるはずもなく、武士の謎は謎のまま・・おそらくは永遠に謎のままかもしれません。

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