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便利さの中で失われた所作

 バスや電車といった公共交通機関を利用する機会は、他の地方の方までは分かりませんが、岩手県民の大多数は非常に少ないです。

 1人1台自動車所有は当たり前ですし、元々の県民性なのか150m先のコンビニにも車を利用しますし、明らかに店内で食べた方が早いのに飲食店のドライブスルーは連日渋滞しています。

 そんな岩手県民の私が久々にバスと電車を乗り継いで外出をしました。

 たまたま自家用車の点検があり、目的地にもほぼ1日滞在するので、時刻表を確認したら丁度行き帰りにピッタリの時間があったので利用した次第です。


 本当に数年ぶりの公共交通機関です。

 朝9時頃に出発しました。

 バス停までは徒歩5分程度の距離にあり、バスの到着予定時刻まで残り5分で私は着きましたが他に待っている方はおらず、到着したバスにも学生と老婦の2人だけが乗っているだけでした。

 私は外出時はスマートフォンを持ち歩かない事の方が多いです。なんとなく携帯電話なんかに縛られたくないという不必要な反骨精神がそうさせているのですが、私がバスに乗った際に先に乗っていた2人はスマートフォンにイヤホンを繋いで何かを聴いておりました。

 見慣れた街並みを車窓から眺めて、バスは20分ほどで駅に到着し、私は降車しました。駅そのものは新幹線の停車駅でもあるので団体観光客やスーツ姿のサラリーマンがちらほらとは見えました。しかし、そもそも新幹線も停まるような駅にしてはかなり利用客は少ないでしょう。

 新幹線へ向かうサラリーマンや団体観光客を横目にローカル線のホームへと向かいます。お世辞にも近代的とは言い難い鉄筋コンクリート造りのホームには私以外の利用客は居ませんでした。

 15分ほどぼんやりとしている内に電車が到着しました。電車は思いの外、混みあっていました。

 午前10時前後位の土曜日でしたが、部活へ行くのか学生がほとんどで、少しの作業服或いはスーツ姿の方と、これまた観光なのかキャスターの着いたスーツケースを両足に挟んだ方がちらほらと、といった利用客構成です。

 残り僅かな空き席に座り外の景色を眺めます。慣れ親しんだ町でも車窓から或いは自分の車から眺める風景と電車から見える景色というのは違うものです。あの工場をこの角度から見たらこう見えるのかとか、田んぼだった場所がいつの間にか宅地になっていたりと、地味な発見がありました。

 岩手県を走る鉄道なので、住宅地を抜けると遠くに幹線道路を眺めるだけの退屈な田園風景です。私は電車内を眺める事にしました。

 人の会話は殆ど無く、みんながみんなスマートフォンを眺めているかイヤフォンで何かを聴いているか、あとは読書をする方がいるかだけでした。

 先ほども書きましたが、私は変な反骨精神の元で外出時はスマートフォンを持ち歩かない事の方が多いです。従ってこの風景にはどこと無く違和感を感じたのです。

決してスマートフォンを持って来ない私の方が正しい行動をしている!などと過激な事を言うつもりは毛頭有りません。私だってスマートフォンを持ってきていれば画面をジツと眺めて、飽きればイヤフォンを使った身でしょう。

 しかし、無機質なガタンゴトンとレールの継ぎ目のジョイント音だけが響く車内で、老若男女一様に手のひら大の画面を無表情にジツと眺めて、中には1人で口角が上がっていたりする人が居るというのは、異様さも感じます。


 そこで私は、ある疑問が生まれました。

”スマートフォンが普及する前は皆何をしていたのだろう?”

 確かにスマートフォンが普及する前は携帯電話がありました。しかし携帯電話のブラウザ機能はお世辞にもレスポンスは良いとは言えませんし、当時は"ギガホ"の様な利用し放題プランも無かったと思います。確かに携帯電話でも音楽も聴けましたが、全員が全員一様に音楽を聴いていた記憶もありません。かと言って電車という乗り物の車内は雑談で騒ぐのはマナー違反というのは古くからのルールでしたし、読書をする方というのもそれほど多くは無かったと記憶しています。そして、同じように全員が全員外の景色を眺めていた訳では無かったと思います。

 私は思い出そうとしても、元々の利用機会も少ない電車ですから結局下車するまで"かつてあったハズの日常風景"を思い出す事は出来ませんでした。


 似たような事は他にもありました。

 今年私は中古のワゴン車を購入しました。

 元々軽自動車を1台所有していましたが、パートナーと同棲するに差し当たって、どうしても軽自動車だと事足りない事態が増えたり、趣味のキャンプも立体パズルのように用品を詰めないとままならなかった為、大きめのワゴン車を購入した次第です。

 ただし買ったのは平成9年の車です。

 別にその車種を指名買いした訳ではありませんでしたが"このご時世にハイオク指定V型6気筒エンジンなんて安価では早々味わえないだろう"と思い購入に至りました。

その車にはバックモニターが付いていませんでした。

 バックモニターなんか社用車どころか軽自動車にも大型トラックにも付いてくる令和の時代です。

 私は、平成9年の車にいきなり最新の液晶モニターを載せるのも無粋だなとこれまた変な意地が働いてしまい、ノスタルジーを感じるカセットデッキ装着のまま納車された次第です。

 そうしてドライブをしてバック駐車をする時に、自分の、いやもう令和を生きる人のクセに気づいたのです。

 バック駐車をする際に今まで軽自動車に乗っていた私は

・左右ミラーを見る
・バックモニター眺める(後ろに人が居ないか確認)
・ミラーとバックモニターを交互に見て駐車レーンに入れる
・バックモニターを眺めながら後ろを詰める

といった手順で止めていました。

 しかし、バックモニターの無いワゴン車でバック駐車をすると左右のミラーを見た後に、無意識にセカンドカーの軽自動車に付いているバックモニターの位置を見てしまうという癖がある事にある日、気が付いたのです。

 当然その位置にはノスタルジーなカセットデッキしかありませんから、何の意味もありません。

 かと言って、後ろを振り返って眺めるとどうしても"死角"が気になってしまいます。実は後ろの窓の真下に子供がいるんじゃないかとか、急に心配になります。

バックモニター無しのバック駐車に一旦カセットデッキを眺めるという妙壁が染みついたまま、所有をはじめて間もなく1年が経過しようとしています。

 バックモニターのみならず、サイドミラー自体も令和の車のようにミラーレンズが湾曲していないので、視野角が狭くワゴン車を運転している時の車線変更時は必ず目視が必要になります。

 車線変更時の目視というのは、自動車教習所では習う部分です。しかし、最近の自動車はサイドミラーのレンズそのものが大きくさらに視野角を広くするために湾曲している為、ミラーの確認だけでも十分に車線変更が可能です。しかし、本来はしっかりと右見て左見ての目視が安全の為には必要と言えます。

 今は軽自動車を運転する際も"目視"を心配性だなと思いつつも心がけるようになりました。

 自動車の"安全の為、便利さの為に進歩した部分"がいつの間にか色んな所作を忘れさせていたのに気づかせてくれたのです。


 時代が進み、便利な世の中になりました。

 そうしてその中で、いろんな問題が出ても来ました。

スマホ依存症やスマホ脳といった問題もその一つです。
 私もそうですが、気が付いたら自宅でスマートフォンでショート動画をぼんやりと眺めて1時間が過ぎていたりする事があります。

 この"どうでも良い情報を長時間眺める"という行為は脳そのものには悪影響のようです。

 どうでも良い情報と言えどもスマホで見た物というのは、脳のメモリに一旦は蓄積されるらしく、それが過度に溜まってしまうと本来必要な情報、例えば仕事の予定やタスク等を忘れてしまったり、新しく物事を覚えられなかったりと"脳疲労"の状態に陥ってしまうと以前聞いた事があります。スマホ認知症なんて言葉も出てくるようになりました。

 それに対して、ぼんやりすると言う時間は脳に対しては良いようで、ゴチャついてしまたった脳内の情報をリセット・整理する作用があるようです。

 隙あらばスマートフォンな現代だからこそ、遠くをぼんやり眺める。とりあえず目をつぶる、といっ"何もしない時間"というのはとても大事だったんだなと思わせる話です。

 熊のプーさんの名言の中に『僕は何もしていないをしているんだ』というのがありますが、正しくこの事なんでしょう。

 古い車のバック時・車線変更時の動作も似たような部分があります。

 バックモニターが当たり前になり、安全の為にサイドミラーが大きくなった現代ですが、いつの間にか運転における様々な場面での"目視"をする機会が無くなりました。

 バックモニターと言えど、視野角の広いミラーと言えども死角は少なからずあります。やはり運転の基本は"右見て左見て後ろを見て"が基本なのでしょう。

 先日、自動車整備工場からバックで出てきた車両に母子が撥ねられて亡くなるという痛ましい事故がありました。家族で歩いていた時の出来事との事で、遺された家族の事を考えると筆舌に尽くし難いです。

 母子を轢いた車両は古い英国車でした。ミラーの視野角は現代の車に比べたら本当に狭いと思います。この事件の顛末を私は知る由もありませんが、もしかしたら"普段乗っている車のように"サイドミラーを眺めて人が居なかったからバックをしたのかも知れません。


 年末年始、帰省や旅行をされる方も多くいらっしゃると思います。

 新幹線などの公共交通で移動される方もいらっしゃると思います。

 移動される時間にスマートフォンを眺めるのでは無く、車窓の風景を眺めたりしては如何でしょうか?

 それが本当の意味でのリフレッシュと言えると思います。

 帰省先では、例えばレンタカーや親の車、親戚の方の車に乗られる方もいらっしゃると思います。もしかしたらバックモニターが付いていなかったり、古い車種でミラーの視野角が狭いかも知れません。

普段乗っている車で平気だから、この車でも大丈夫と、ミラーの確認だけで操作しようとしていませんか?

 慣れない車を乗る時だからこそ、基本に立ち返り初心で運転するべきと言えます。


 "電車の風景"・"古い車"

 この2つは私にとって、失われつつある景色・失われつつある所作を思い返すキッカケとなりました。

 それは時代の変貌というもので必然的で悲しいとは言えません。

 ただ景色や所作が失われているだけでは無くその中に"時代を超えて浮き彫りになった意味"を改めて考えると、色んな場面での過ごし方や行動というのもそれぞれ変わってくるのでは無いかと私は時々思うのです。

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