第2章『「親鸞ルネサンス」書評』へ...
安冨歩・本田雅人・佐野明弘『親鸞ルネサンス 他力による自立』に対する吉成学人さんの書評へのコメントです。
「形而上学」をめぐっては、宗教的信念と関係する、様々な議論があるのですね。安冨先生が、片岡祐介さんを教祖とする「純セレブ教」を生み出したのも、現代の形而上学的問題へのお考えに基づいているという理解ができるかもしれません。私は形而上学への問題意識をめぐる議論についてはまったく詳しく知りませんので、対談でお聞かせいただけるのであれば、たいへん楽しみです。國分功一郎さんについては、著書である『スピノザ エチカ』(100分 de 名著)を読んだくらいです。
それから、お送りいただいたリンクから、與那覇潤さんのエッセイを読みました(與那覇さんの本や発言については、今回、初めて認識しました)。
安冨先生への悪意を感じます。このエッセイの内容には、まったくと言ってよいほど共感できません。彼が個人攻撃している一つ一つの内容が示しているのは、自分の中にある、抑圧されたもう一人の自分の存在ではないでしょうか。これについては、私が知る範囲では、アリス・ミラー『魂の殺人』、深尾葉子『魂の脱植民地化とは何か』などが理解のための参考になるのではないか、と思われます。
與那覇氏の言説等を見ていて思い当たった安冨先生のツイートをご紹介します。
與那覇氏の学歴にある筑駒や東大は、2つともエリート専門学校です。安冨先生自身ももちろんエリートであり、東大教授になった40代前半まではまさにその一員らしく見える行動をなされていたように思われます。ですが、50代以降、女性装をはじめ、選挙への出馬等、エリートらしからぬ言動を取られるようになりました。エリートたちへの相当な反感があったのだと思います。
私は小学校高学年から最近まで、大学の先生になりたいな…と思っていました。一昨日に配信されましたこちらの「一月万冊」の動画の38分ごろから、今から学者を目指すのは辞めた方がいい、とあります。以前から同様の趣旨の発言を見ておりますが、これもおそらく、その通りなのだろう、と思えるのです。
「私の世界史」と云う概念については、今年発売された安冨先生の著書『生きるための日本史』でも改めて詳しく述べられていたと記憶しています。『生きるための日本史』に関連する動画には、「私の世界史」と「あなたの世界史」との間に接点を見出していくのを無限に繰り返すことで、客観的世界史が存在すると考えることができるのだろう、という趣旨の説明をされていたと記憶しています。安冨先生の口から発せられるこういったお話を聞くことなしに、「私の世界史」について読むだけでは、その意義についていまいちピンと来ていませんでした。
東大教授と語る【コロナ時代を乗り切る秘訣】安倍首相と親鸞。自力と他力。安冨歩教授電話出演。一月万冊清水有高。
安冨歩氏 × よりたかつひこ氏 × 辻信一氏 × 渡邉尚氏 トーク 「『他力本願』による自立!」[第10回 土と平和の祭典]2016.10.15 @日比谷公園
第48回公開仏教講座「聞」 7月10日「現代における他力思想の意義~親鸞ルネサンスの提唱~」 安冨歩東京大学東洋文化研究所教授 ①
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