ALAKI

🎧DJ⚡️ I was born in 1975. https://soundclo…

最近の記事

音楽としての記憶#8

前の記事 2001年9月11日 この日はHOUSE FORCEのcrewと飲んでいて、大阪・大国町の家に戻ると さっきまで一緒だったcrewからの電話が鳴った。 「テレビ見てる?!」 急いでテレビをつけるとNYの世界貿易センタービルに飛行機が突っ込み、白煙が上がっている映像が映し出されていた。 「まじで!?これ一体何が起きてる?!」と電話で話しながらテレビを見つめていたことを覚えている。 映画の世界で起こるようなことが現実世界で起き、しばらくネットで情報収集し続ける日々

    • 音楽としての記憶#7

      前の記事 阪神淡路大震災 1995年。 この年は未曾有の大震災から始まった。 1月17日早朝、当時住んでいた京都・西京極のマンションを大きな横揺れが襲い飛び起きる。 しばらく様子を伺うも次の揺れは来なかったのでそのまま爆睡し、お昼過ぎに起きてテレビをつけると、神戸の街に火の手があがり燃えている映像が飛び込んできた。 まさか早朝に起きたあの地震がこんなことになっていたとは信じられない気持ちで、血の気が引いていくのを感じた。 すぐ近くの京都にいて何かできることがないのか焦る

      • 音楽としての記憶#6

        前の記事 ヘッドフォンの中の小宇宙 ある日mushroomでスタッフをしていた友達の家に数名で遊びに行くことに。 その子の部屋には二台のターンテーブルがあり、沢山のレコードもあった。 好奇心からDJってどうやってやるのか聞いたところ、こうやってやるんだよと 二枚のレコードをターンテーブルにセットし教えてくれた。 今流れているレコード(A)にもう片方のレコード(B)の音をヘッドフォンで聴いて最初のビートに頭出ししておくこと 片耳でレコード(A)の外音を聴きながらヘッドフ

        • 音楽としての記憶#5

          前の記事 包囲網を突破せよ いよいよ高校卒業後の進路を決める季節になり、輝ける未来のため「一人暮らし」を絶対実現させなくちゃいけなかった私は、父親から前もって二つの条件を出されていた。 大学/短大に進学するのであれば一人暮らしを認める(専門学校は認めない) 進学は「西は神戸までの近畿圏内」「東は名古屋までの東海圏内」に限る 今でこそ歳をとって丸くなった父だが、当時は昭和の堅物オヤジだったので既に包囲網が敷かれた状態だった。 CUTiE×岡崎京子の影響もあり(本当は東

        音楽としての記憶#8

          音楽としての記憶#4

          前の記事 「変態さん」と仲良くなる ここで音楽の記憶は、高校入学以降の90年代まで一旦消滅する。 生まれは滋賀の最北部で、日本昔話に出てくるような田園風景が広がる閉鎖的な土地だったので、マニアックな音楽情報なんかは一切入ってこない環境だった。 毎日テレビから垂れ流される流行りの歌謡曲に洗脳されてた私にとって、運命の90年代がやってくる。 高校は家から通うのが一番近かった隣町の、熊が出没する山の麓(熊が農業科の牛を襲って地方紙の一面を飾ったことがあった)にある超ド田舎校へ

          音楽としての記憶#4

          音楽としての記憶#3

          前の記事 楽しくなかったピアノ教室 小学校に入ると母親の強い勧めで町内のピアノ教室に通い始める。 母は女の子が生まれたらピアノを習わせたかったようで、可愛いフリルのスカートを履かせて女の子らしく育てたかったらしい。 その母の願望を敏感に感じ取っていたのか、私はスカートやピンク色の服、とにかく女の子らしいものが大嫌いで、一つ下の弟に「私が男で弟が女だったらよかったのに」と恨んでいたほどだった。 定期的に開催されるピアノの発表会では、みんなドレスアップしてステージ上で演奏する

          音楽としての記憶#3

          音楽としての記憶#2

          前の記事 憂いの音楽 1975年生まれの私が幼な心に残っている音楽を辿っていくと、子供のくせにやたら哀愁を誘うような音楽に惹かれていた。 まだ哀愁というものがどんなものかはわからないけれど、 (なんだか心がざわざわする)(ぎゅーっと胸が締めつけられる)ような痛みを 子供だった分、純粋に音楽から感じ取っていたのかもしれない。 デビルマンのエンディング曲をはじめ、かまやつひろし作曲の「やつらの足音のバラード」もアニメの放映時間が夕方だったこともあり、日が暮れて夜になったらみん

          音楽としての記憶#2

          音楽としての記憶

          歌うことが好きだった 自分の音楽のルーツを振り返ってみると、鮮明によみがえる記憶がある。 それは幼少期に聴いたいくつかのアニメソングで、いつも口ずさんでいたのがこのバビル二世のOPテーマ曲。 両親が撮っていたホームビデオには、まだ幼くて上手く口が回らないながらも得意げに歌っている私がよく映っている。 一番のお気に入りは何にでも変身できる黒豹のロデムで、この時期のロデム好きがその後の人生における黒猫贔屓の根源になっていると思われる。 一番古い音楽体験 そしてもうひとつ、人

          音楽としての記憶