音楽としての記憶#2
前の記事
憂いの音楽
1975年生まれの私が幼な心に残っている音楽を辿っていくと、子供のくせにやたら哀愁を誘うような音楽に惹かれていた。
まだ哀愁というものがどんなものかはわからないけれど、
(なんだか心がざわざわする)(ぎゅーっと胸が締めつけられる)ような痛みを
子供だった分、純粋に音楽から感じ取っていたのかもしれない。
デビルマンのエンディング曲をはじめ、かまやつひろし作曲の「やつらの足音のバラード」もアニメの放映時間が夕方だったこともあり、日が暮れて夜になったらみんな居なくなってひとりぼっちになってしまうような怖さを感じる曲だった。
大人になると宇宙の真理が凝縮されていたことがわかる名曲のひとつ。
ルパン三世の名曲「ワルサーP38」も「やつらの足音のバラード」をもっと不穏なコード進行にしたような曲調で、ラスト音階が上がって曲が終わるところがずっと耳に残っていた。
時代の空気
70年代生まれの子供たちが当時必ず耳にしていた曲といえば子門真人の「およげ!たいやきくん」で、我が家にも当然のように父が買ってきた「およげ!たいやきくん」のレコードがあった。
同じく70年代生まれの夫に「およげ!たいやきくん」の記憶を聞いてみると、
「悲しくなるから好きではなかった。楽しくないのに何でヒットしてるのかさっぱりわからなかった」とのことで、この曲はいい思い出ではないらしい。
私も最後は食べられてしまう悲劇的な歌詞があまり好きではなかったが、
こんな暗くて鬱蒼とした曲が当時のサラリーマン哀歌となりこの時代を象徴する曲になっているところが興味深い。
今も私が惹かれる音楽は憂いを帯びた音の傾向にあるのは、70年代の原体験も影響しているのだろう。
もちろん、子供時代に聴いて歌って飛び跳ねるような楽しい曲もたくさんあったはずなのに、深く刻まれているのはどれも哀しい曲ばかりなんだな。
次の記事
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?