【思いつきnote】パズルのピース(memo書き)
●はじめに
私自身を卑下したいわけでも、ましてや卑屈になっているわけでもないです。
ただ、どちらかといえば私は自己評価が低い人間だと思っております。
それでも一年ぐらい前からは、自己肯定感をまあまあ持てるようにはなれました。
昨年11月ぐらいからは、自分なりに思いや気づきだとか学びなどのあれこれをnote記事という形式でアウトプットしていくうちにそれらを深めていくこともできました。
だから、こういったアウトプットは何より「自分自身のため」になっていると思っております。
●本当は「手書き」がいいらしいです
メモ帳でも大学ノートでも、それこそnoteでも、「書く」ということは自身のメンタルケアに一役も二役もかっていると思っております。
それ自体が「自分と向き合う」作業でもあります。
とはいえ、自分の「本当の気持ち」を書き出すというのは慣れないうちは難しい作業で、始めた頃はなかなか筆が進まなかった記憶があります。
ちなみに、自身の思いや願望などを書く際は「手書き」が良いといわれたりもします。
私もメモ帳に手書きで頭に浮かんだことを書きなぐっていた時期もありましたが、全然続きませんでした。
そういうわけで、「やらないよりはマシ」ということでスマホのアプリやnoteに様々書いておりました。
●受け取るからこそ
先にも述べた通り、私は(自身をなるべく客観的にみても)自己評価が低めではあります。
以前はもっと低かったですし、加えて自己肯定感も低かったので、たとえ褒めていただけたとしても「社交辞令かな」とか「お世辞だから真に受けたらダメだ」と思っていたくらいです。
今は(お相手がどう思っていたとしても)誉め言葉は素直に受け取るようにしております。
だからこそ、というべきか、「果たして私はあの時誉めていただいた通りに今行動できているか」ということを、徐々に振り返ることができるようになってきたと思います。
●「隣の芝生は青く見える」ということは……
そんな自己評価低めの私ではありますが、「人の長所をみつける」のが割と得意だったりします。
うぬぼれるわけではありませんが、それはちょっと自信があります。
それ故にこんな風に思ったりもしてました。
「いやいや、貴方様だってすごくいい所がたくさんあるじゃないですか!!」と。
それだったら、「そのこと」を伝えればいいのかと思うのですが、以前は「誤解されるのがイヤ」だったので、その「いい所」を伝えずグッと飲み込んでいました。
お恥ずかしい話です。
今思うとそれは「伝え方が適切でなかった」か「褒めたのにも関わらず、もし怒られたり気分を害されたら心が折れる」なんて思いがあったんだと振り返る次第です。
●「人としてアレ」だったとしても
「褒めたことに見返りを求めてしまう」ような打算的なところがあったのは正直言って事実です。
ほんと、(私というものは)人としてどうなんでしょうね。
とは思いますが、そのあたりは自覚していても変に卑屈にならずに、むしろ「だからこそどう考えどう振舞うか」に繋げていけるかと存じます。
●「ジグソーパズル」をたのしむ
それに、何度か似たようなことを述べてきたように思いますが、私たちは「単独で存在しえない」ので、それぞれの長所や短所を補っていけたらいいんだと思ってます。
ちなみに、短所も時には長所であり長所も時には短所だったりします。
いずれにしても、ジグソーパズルの1ピースだけでは「絵」は完成しません。
無数のピースがつながってこそ「絵」が完成するわけですから、仮に今その「絵」が未完成であっても、その「完成をたのしむ」というのも有意義な人生の過ごし方だと思う次第です。
参考までにこちらの記事をシェアしておこうと思います。
もし時間等に余裕がありましたら、ご高覧頂けると嬉しいです。
noteを始めた頃に投稿した記事なので文字数が少ない(600文字程度)です。
投稿回数に比例して、記事の文字数が増えていってます。