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エスプリのきいた愛の物語——ダヴィド・フェンキノス『ナタリー』【書評】
拝啓
足早に2月が逃げ去っていきます。忙しいとは心を亡くすことだとは、よく言ったものです。そんな忙しさを忘れさせてくれる小説をと、積読本ではなく、なんと2016年3月に「気になる本」リストに登録したまま最下部で熟成してしまったフランスの小説を読んでみました。これが本当によかった。もっと早く読めばよかった。ダヴィド・フェンキノス『ナタリー』です。
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フランスものらしく、「1」から「117」まで番号がふられた断章形式の小説です。「1」で主人公の女性であるナタリーが紹介され、「2」で大学生のナタリーが見知らぬ男であるフランソワに路上で声をかけられます。「4」で一緒に暮し始めたと思ったら、あっという間に2年が過ぎてプロポーズされ、二人は「6」で結婚します。それを機にスウェーデン系の企業に就職するのが「8」で、二人の結婚生活が5年を過ぎた「13』でフランソワの身に何か起こったことが暗示され、「16」でナタリーはあっさり未亡人になります。
展開が早く、味わって読む小説ではないのかなと思いましたが、予想は裏切られるものです。
葬儀のあとで、フランソワのいない自宅に戻ってきたとき、ナタリーの目が釘付けになったのは、本の栞でした。
本は二つに分かたれていた。栞よりも前のページはフランソワの生きていたときに読んだ部分。三二一ページで、彼は死んだ。どうしたらいいのだろう? ひとは夫の死によって中断された本を読み継ぐことができるだろうか?
愛する人の死を「本」に語らせる。時間が、止まりました。勢いとインパクトだけの物語ではないのだと気づきました。本好きにはたまりません。
夫を亡くした悲しみを紛らすために、ナタリーはそれまで以上に仕事に打ち込みます。もともと好意も下心も抱いていた社長のシャルルは、ナタリーの昇進という口実をつくってナタリーを誘い出しますが、彼女はきっぱりと拒絶。部下となったクロエも彼女を男に引き合わせるべく何かと世話を焼きますが、ナタリーは、まだそんな気になれません。気持ちの整理がつかないのです。
しかし、スウェーデン出身の男で、外見は醜いというわけではないが、どちらかといえばブサイクである部下のマルキュスが、仕事のことでナタリーの執務室を訪れたときに、ナタリーは無意識にキスをしてしまいます。あとから、ハイヒールで自分が歩く音がカーペットで消されて残念に感じたことが「予告なしに訪れた、官能の誕生」だったと述懐しますが、ナタリーをひそかに慕っていたマルキュスは動揺します。このキスから、お互いに思いやりと節度を持ちながら、かえって素直な気持ちを顕にできない2人の関係がジワジワ、ドタバタしながら育まれていくのでした。
2人が初めて食事をすることになったとき、何を着ていけばよいのか悩みに悩んだマルキュスが、約束をキャンセルするための口実を考えます。
そう、申し訳ない、ナタリー。とてもお会いしたいんですが、その、つまり、今日、ママンが死んだんです
それは、あまりにもカミュだと独りツッコミを入れ、次はサルトルで、実存主義っぽいトーンを持たせようかとつぶやく。こんなところも本好きにはたまりません。全体をとおして映画や文学、美術、それらのトリビアなど、まさにエスプリのきいた筆遣いに、ナタリーやマルキュスへの感情移入とは違った読書の楽しみが品よく散りばめられています。2人がレストランで立ち尽しているのは、マグリットの絵にたとえます。思わずほうと声に出して感心してしまいました。
聡明なナタリー。朴訥としたマルキュス。自意識過剰なクロエ。薄っぺらいシャルル。人物の描写は最低限です。しかし、それぞれの表情は生き生きしていて、目に浮かぶよう。それは、やはり異質なものどうしがぶつかり合っているからだと思いました。シャルルなんて、本当にいやったらしい奴だよ、まったく。しかし作中人物としては、とても魅力的です。
断章形式で、語り手やその視点がどんどん切り替わるので、とても映画的。最後の断章である「117」の使い方も、本当に見事。あっぱれです。著者が制作にも携わったオドレイ・トトゥ主演の映画も、ぜひ観てみたいと思いました。
ビュッフェのように、色とりどりのものを、少しずつでもいいから味わってみたいと思っています。しかし、やっぱりフランスものが好きだなあと、今回も感じました。そういえば元旦の、フランス語を勉強するぞ宣言は、忙しさに、どこへ忘れてきたのでしょう。心を亡くすのか、亡くした心なのか。少しずつ暖かくなる春に向けて、気持ちも新たにしたいものです。
あなたの、とっておき「フランスもの」も、ぜひ教えてください。
既視の海
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