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【書評】エリエット・アベカシス『30年目の待ち合わせ』

登場人物の感情移入と物語への没入だけが読書の楽しみではない。運命であれ因果であれ、人間関係であれ、偶然性であれ、物語のなかで登場人物と著者が問いかけるものに答えたり、こちらからも問いかけたりしながら、読み手としても物語をともに創っていく。それも読書の楽しみだ。

だが、エリエット・アベカシス『30年目の待ち合わせ』を読んで、作中に自分が入り込み、登場人物と著者に対して、人生ってそういうものだよね、と声をかけるのではなく、自分の人生はどうだったのだろうと、物語とはまったく異なる、自分自身の過去に沈んでいった。

1988年のフランス・パリ。名門ソルボンヌ大学の事務室の前で、偶然に居合わせた文学部のアメリと経済学部のヴァンサン。それぞれの友人たちも一緒にパリの街へ繰り出し、コーヒーを飲み、おしゃべりに高じ、そぞろ歩く。初対面だった二人は、自分の生い立ちや、興味、親のことなどを少しずつ語る。お互いに持っていた本をプレゼントしあうというのがいい。アメリはアルベール・コーエンの『選ばれた女』。ヴァンサンはリルケの『若き詩人への手紙』。友人たちとも別れ、二人きりで明け方まで話し込む。微かな胸の疼きを感じつつも、何も起こらず、それぞれ帰路につく。

だが、交換した本の見返しに書いてあったのは、それぞれの名前と電話番号。後日、二人はソルボンヌ広場のカフェで会う約束をする。先に着いたヴァンサンは1時間以上も待ったうえで、あきらめて立ち去る。その直後に、自信が持てずにおろおろしていたアメリがようやくカフェにたどり着く。お互いに惹かれ合っているのに、自分の想いを伝えず、相手の想いも知らないまま、それから30年にわたって、ずっとすれ違っていく。

31歳で再会したとき、最初のすれ違いの理由は判明したものの、お互いの気持ちは言葉に出さず、しかもヴァンサンはすでに妻を迎えていた。

その数年後に会ったとき、ヴァンサンに妻子がいることを聞かされ、衝撃を受けるとともに、自分の身の置き場所を探すために焦るアメリ。

40歳で会ったときには、アメリも結婚し子どももいたが、家庭は壊れていて、ヴァンサンも夫婦のなかは冷えきっていることに、お互いに気づいている。

47歳、エッフェル塔の下で落ち合うと、それぞれ離婚していたが、鬱病で孤独なヴァンサンに何もいわず、アメリは年下の新しい恋人を選ぶ。

そして50歳となり、ともに人生の孤独に沈み込んでいたアメリとヴァンサンはようやく、最初に待ち合わせたソルボンヌ広場のカフェで会う。

このような2人のすれ違いの軌跡を、パリの街中の光景や、ニューヨークの9.11、ロンドンの地下鉄爆破テロ、固定電話から携帯電話、iPhone、フェイスブック、SMSなど、都市や出来事、文化風俗、連絡を取り合う手段などの推移も含めて、30年分を描き出している。

このような小説や映画は、「懐かしがらせる」という手法をとることが多い。当時に流行したファッションや音楽、出来事をストーリーに挟み込むことで、読者や観客に、あの頃は若かったね、楽しかったね、良かったねと意識の時間旅行をさせる。本作は違う。たしかに懐かしさはある。だが、それが心地よいとは限らない。むしろ残酷で、胸が押しつぶされるような痛みを引き寄せる。

二人がすれ違うのは、端的にいえば、コミュニケーション不足。独り善がりの思い込み。「人生におけるあやまちの半分は行動の欠如、半分は性急さによる」というアフォリズムも身にしみる。

そして、そうだよね、つらいよね、男ってダメだよね、女って弱いなあ、自分だったら、こうするのに、とアメリまたはヴァンサンに感情移入して楽しむ小説でもない。物語とは一切関係なく、そして共通点もない、自分の20代、30代、40代における行動の欠如と性急さを思い起こした。

20歳のとき、人間関係から逃げるために住み込みの仕事をした伊豆半島の民宿。そこに訪ねてきた2人の女性に、それぞれ自分がとった行動は適切だったのだろうか。

35歳のとき、家族を理由に、ほんとうに自分がやりたかったことに踏み出せなかったのは、単なる臆病風に吹かれただけではないのか。

そんなふうに、フランスでもなく日本で、男女のことであってもそうでなくても、この『30年目の待ち合わせ』という作品と一切関係ない自分の記憶の底で、さまざま思いをめぐらし、解釈し直し、間違っていたのかどうか再検討し、ほっと安堵したり、やはり後悔したり。読了したあとの24時間は、ずっとそんなことの繰り返しだった。マドレーヌと紅茶から、実際に起ったことの記憶が無意識に蘇るのとも違う。

小説の方から、おまえは何者なのか? 何を考えていたのか?どう感じていたのか? と自分に問いかけてくる。こんな読書体験は、めったにない。途方に暮れているのは、20歳で出会った二人の男女が30年にわたって翻弄されていく運命の残酷さではない。はからずして考えさせられた、自分が生きてきた時間のながさである。

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