沈黙を言葉にする
経験を重んじよ。そのうえで自分の心に浮かぶ感覚を大切にせよ。信じるによせ、疑うにせよ、経験という現実を畏敬しなければ、現実そのものも見えない。その一方で、本当の経験の味わいなんて、実は解らない。すぐに分かるような経験は、大した経験ではない。
小林秀雄にとっての経験といえば、名文『美を求める心』である。
美は経験であり、本当の美は、そう簡単に分かるものではない。だから人を沈黙させる。
それを批評に当てはめるなら、いくら現実を畏敬して、経験というものを重んじたとしても、言葉で表せないのなら、対象から価値を見出すことも、批判することもできない、そういう思いも生じる。言葉がなければ、批評はできないのだ。しかし小林秀雄は、この『美を求める心』で、批評と同等な考えとして、詩についての見方、考え方を述べる。
小林秀雄は、詩を書くような批評を書きたいと考えていた。「もし、ボオドレエルという人に出会わなかったなら、今日の私の批評もなかったであろう」(『詩について』「小林秀雄全作品」第18集)と語っているように、ボードレールの影響が大きい。その点から考えるならば、ここに引いた『美を求める心』における「詩」を「批評」に置き換えても、十分に小林秀雄の意を尽くせるのではないだろうか。
小林秀雄にとって批評とはやはり「詩」だったのだろう。
(つづく)
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