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#一人旅
- おじさんの追憶 vol.17- まだまだヨーロッパ!
紹介しきれないヨーロッパ
97年‐00年のヨーロッパ放浪旅も、韓国への立ち寄りを以て完!なのですが、実は、まだいろいろと訪れたところがありました。この街、この国はこう!みたいなテーマが上手いこと作れなくて紹介できませんでしたが、今回アラカルトで。
うまく絡ませられなかった"オーストリア"
オーストリアは実は、移動の際HUBになっていて、何度も訪れているのですが、何しろ私にとっては"無難な国
- おじさんの追憶 vol.16- 1999年 ドンファンと僕
さよならドイツ
2000年1月。1999年7月から始まったヨーロッパの旅もいよいよ日本に帰国するタイミングです。最後、ブンデスリーガの室内サッカーを観ました。冬は気候の関係でリーグが中断されるので、その補完的なイベントだったかな。今もやってるのかしら。
ドンファンを訪ねて
そして、帰国です。当時大好きだったエアラインは大韓航空。なぜって、まず割安。そして冬のヨーロッパ便は空いていることが多
- おじさんの追憶 vol.14- 1999年 トルコの大地とおいでイスタンブール♪♪
おいでイスタンブ〜ル〜♪
私、庄野真代さんのファンではないのですが(そもそも古い!)、、、今回はトルコです。時期は1999年7月下旬。ブルガリアから夜行電車でイスタンブール入りしました。
イスタンブールはトルコの首都ではないですが、歴史があり大きな街です。日記と辿ると、着いた日はサッカーの名門、ガラタサライとフェネルバフチェの一戦がある日だったようです。時期的にリーグ戦前の試合ですかね。印象
- おじさんの追憶 vol.13- 1999年 日記で振り返る旧東欧3ヶ国
本邦初公開!あの時君は青かった!
1999年のヨーロッパ旅、2000年1月から時系列はちょっと戻りますが、1999年7月に日本を出国してソウル経由フランクフルト、オーストリア入りしたあとを振り返ります。つまり、ハンガリー、ルーマニア、そしてブルガリアの旅です。(その後トルコを旅行して、ようやく目的地ドイツ・ミュンヘンだったんです)当時はいわゆる東側諸国が崩壊して、10年前後か。まだまだ旧体制の
- おじさんの追憶 vol.11- 1999年 お待ちかねの英国
なんで英国が出てこないんだ!
1999年のヨーロッパ周遊。様々な国を紹介しましたが、英国が出てこないなんて、なんだ!って方はいるのかいないのか。満を持してでございます。Great Britain、The United Kingdomですよ。
オーストエンデからドーバー上陸
飛行機でもユーロスターでも、カレーからでもなく、ベルギーの街からフェリーでドーバーへ。当時、ドーバー海峡横断部って番組
- おじさんの追憶 vol.10- 1999年 ドイツ、いろいろな街
ちょうどEUROのタイミング
1999年に周ったヨーロッパの旅、今回はドイツの街をいくつか。いよいよサッカーのEURO 2024(ドイツ語だとオイロか、ユーロじゃなくて) がドイツで開催されますし。いかにもドイツ的な、中世を想起させる写真はあまりないですが、25年前のドイツの雰囲気、サッカー関連中心ですが、、、を楽しめればと思います。
レバークーゼンってどこだよ
いやいやいや、今かなり”熱
- おじさんの追憶 vol.6- 1999年 イタリア・ミラノのパニーニ
周遊の旅、まずはイタリアからだったかな
ドイツ語学校の期間が過ぎ、ここからはヨーロッパ周遊です。住んでいたミュンヘンに大きな荷物を置かせてもらって、平日はドイツ以外、週末はドイツでバイエルンの試合を観る、でまた出かける、みたいな生活だったかな。ちなみに、イタリアは基本日曜にサッカー、カルチョの試合があって、ミュンヘンを土曜の夜出て、翌日試合を観戦できるんです。
バイトの先輩と落ち合ったんです
- おじさんの追憶 vol.3- 1999年3月 ドイツ noteが起こした "Coincidence"
大学を休学して、放浪の旅、いや、ドイツ語の勉強へ
98年夏にヨーロッパを周遊して、結果出た"意思"というのが、「もっと遊びたい!というか、ミュンヘンに住んでサッカー観てぇ〜!」でした。(子供か!)
この衝動は止められず、99年度、大学を1年間休学することに。夏から翌年の1月まで、海外に行くことにしました。ちなみに休学の費用はバイトで貯めました。関係各所にもそれなりの説明は必要だったのですが、