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竈猫
2023年5月21日 00:32
小学一年生の時、わたしはスカートの裾を切った。とくに深い意味は無かったけれど、あたらしいハサミをどこかで試したかったのかもしれない。ばれないように、1cmにも満たない小さな切れ込みを入れて、自分だけが知っている内緒ごとをつくったつもりだった。「スカート、どうしたの?」お母さんが次の日聞いてきた。「自分で切った」「ほんとうは?」「自分で切った」わたしは本当のことを言っているのに、
2023年6月20日 22:29
朝起きたら、ラインに通知が来ていた。昨日送った資料の言葉のニュアンスが違うから訂正して欲しい、とのことだった。よくあるミス、頭ではわかっていながら、わたしは、顔をぶたれたような、ひどく惨めな気持ちになった。わたしの、何か大きな山が、派手に崩れた音がした。時間をかけずに終わらせる課題のこと、傷つけたかもしれない友達のこと、自分には不釣り合いなほど難しい資格に手を出したこと、みんなに合わ
2023年7月16日 01:38
夏になると食欲がなくなるのは、まあよくあることだとして心が空っぽになったような、何も考えられない夜は初めてだった。帰り道にあるコンビニで翌朝のパンを買おうとしたとき、何も欲しいと思えなかった。代わりに、目に入ったケーキコーナーの新商品のティラミスを買って帰った。プラスチックの小さなカップに入ったティラミス。カロリーのでかでかと書かれた蓋をはがして、透明なスプーンを差しこんだ。無抵抗
2023年9月28日 02:39
洗濯機の中から化粧品が出てきた。私は戦慄した。さっきまでげんきいっぱいで、寿命をもう少しで全うできそうだった赤い口紅が、無残にひび割れ、水に濡れ、ついでに柔軟剤のよい匂いを纏って現れたのだ。早々に見切りをつけ、私は街に繰り出した。電車内、でがたがた揺られていると、母からと七五三の写真が送られてきた。ぎこちなくポーズを取る幼少の私の口元には、着物と同じ、青みがかった赤色が塗られていて、ふ
2023年11月4日 00:07
窓を開けると、身を切るような北風が舞い込んできた。思わず身震いして、箪笥から冬物を出す。袖の長い上着を羽織ると、箪笥の匂いが染み付いていた。寝坊に寝坊を重ねた罪深き昼下がり、食材を求めにスーパーまで歩く。風は頬を冷やし、ガソリンスタンドの石油の匂いを運んできた。ああ、冬が来た、と思った。故郷を離れ、すっかり車離れした都会の生活に身を置くようになってから、ガソリンの匂いにノスタ