自分が不幸だということにも無知であること「星の時」
<文学(156歩目)>
究極の不幸とは、自分が不幸であることもわからない無知であること。この南米文学が伝えたいことはとても深い「星の時」。
星の時
クラリッセ・リスペクトル (著), 福嶋伸洋 (翻訳)
河出書房新社
「156歩目」は、クラリッセ・リスペクトルさんはラテンアメリカ文学の代表の一人として手に取った。
「ピュア(純粋)≒無知」は、そのまま人を動かし、そして不幸にもなると思った作品です。
素朴な田舎から出てきた少女の無知を利用する男、この設定は世の東西を問わず悪い男と可哀そうな女の物語になる。
でも、「無知」が究極的な場合に悪い男の心にどの様な化学反応を起こすのか?
色々なパターンがあると思います。
ここにクラリッセ・リスペクトルさんは究極の愛を描いた。
「知らないでいること」は、よくないことのようだけど、実際にはそうでもないのは、誰に教わらなくても犬がしっぽを振ったり人が空腹を感じたりするように、彼女にはいろいろなことができたから・・・・生まれれば自然に学ぶことががある。いつの日か死ぬその死に方を、誰からも教わりはしないように・・・・映画スターの役を完璧に演じられるくらい覚えたように、いつか死ぬのは確実だった。死ぬとき人はスターになって輝く。
こんな切り出しかたで「愛」を描き切る。クラリッセ・リスペクトルさんの作品が今も読まれている理由がわかりました。
「踏みつぶされた無垢」って、リオデジャネイロにも、東京にもある。
だから、発表されてから半世紀で、まだまだ読者を増やしているのだと感じました。
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