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tatu-kuu(車いすおばあちゃん)
2023年12月16日 11:42
採用!普通のOL生活が始まったそれからしばらく日にが過ぎて「今日、先方の所長さんがちょっと会いに来るそうだから、部屋で待機していて」と、担当指導員から言われていつ呼ばれるかとドキドキ緊張しながらベッドの上で待っていると「あ、どうも、こんにちは、はじめまして、」スラっと背が高く、色白で、大きなぱっちりお目目の30代くらいの素敵な男性が部屋に入っていらっしゃいました。「こんに
2023年12月19日 19:08
女の子を産みなね、お雛様買ってあげるよ「あのね、結婚したいと思うんだけど」母にそう打ち明けたのは、よく行くデパートのレストランひな人形の売り出しが始まっている頃でした。「おめでとう、いいんじゃない、がんばれ」うすうす分かっていたようで、母はよろこんで応援してくれました。食事を済ませお店を出ると、華やかなひな人形の段飾りが所狭しと並んでいます。「きれいだねぇ」それを見て母は車椅子の
2023年12月21日 13:54
てんやわんやの 普通の結婚式実は、結婚式当日の記憶はほとんどありません。憶えていることと言えば挙式の時に私達新郎新婦の前を歩くはずのフラワーボーイ牧師さんの息子さんにお願いしてあったのですがご機嫌斜めで、急遽他の女の子にお願いしていた情景牧師様の「汝、病める時も、健やかなるときも・・・」「誓います」の後の「では、誓いの・・・」が「誓いの握手を」と言われたこと 五月晴れ
2023年12月22日 18:32
ぶりの照り焼き、いなだ?とりあえず、お買い物昭和55年(1980年)ネットスーパーもAmazonもありませんでしたが、団地のすぐ裏手にはお肉屋さんとお米屋さんがあり、少し先のバス通りには小さな商店街もありました。お肉屋さんは車椅子でも行ける距離だったので、夕方帰宅してからポテトサラダやコロッケ、生姜焼き用の豚肉や合いびき肉などを買い夕食に間に合わせ、お米屋さんはすぐ近くですが配
2023年12月24日 17:12
そろばんとコンピューターパチパチパチ、パチパチパチパチパチパチ、パチパチパチザッ、パチパチパチ、パチパチパチパチパチ・・・ しんとした事務室にそろばんをはじく音が響きます。1980年代まだまだアナログ手書きと、そろばん(時々電卓)の事務仕事です。経理も会計システムも表計算ソフトもワードプロセッサーもありませんでした毎日複写伝票を起こします。当時は3事業所あり、伝票の
2023年12月25日 16:20
車椅子担いで「渡っちゃえ~」?旅に出ました北陸、金沢、能登半島2泊3日 朝の京都駅のホームです。若いイケメンの駅員さんに車いすを押してもらって舞い上がってます。Sパイセンとわたし。これが、間違いの始まりでした 東京駅で新幹線に乗る前に旅費をATMで引き出す予定でしたが何故か「京都駅でおろせばいいよ、時間あるし」「あ、そうだね」 ところが、京都駅でイケメン駅員君に出会っ
2023年12月26日 15:19
ハワイ!空港に到着またまたイケメンのスタッフがお出迎え素敵な笑顔で「アロ~ハ~」と車いすを押してくれます。空港には甘い花の香りが漂いウェルカムのブーゲンビリアのレイを首にかけてくれます そうです!ついに!憧れのハワイ!今回はツアーではなく、M課長とTちゃんと3人の女子旅です! TちゃんはSパイセンの後継者ですSパイセンは、めでたく寿退社をされたのでした。車椅子のM課
2023年12月28日 00:12
京都、沖縄、スキー!Tちゃんと京都旅行へ行き、奮発して観光タクシーをチャーターしました。観光タクシーの運転手さんは少しご年配の方でしたが、とても親切にしていただきました。化野念仏寺では、車椅子では回れないからと、ずっと私をおんぶしてあの石仏群の中を歩いてくださいましたし、金閣寺では、急な坂道を一生懸命車椅子を押して案内してくださいました。 帰りにホテルまで送っていただきましたが、
2023年12月28日 19:35
さらば、わが青春の職場さて、よく働き、よく遊び、よく旅をしました。旅の思い出は、きれいな景色とか、美味しいグルメとかも、ありますが私の旅の一番の思い出は一緒に旅をしてくれた友人や旅先で声をかけて頂いた方助けて頂いた方そういう方たちとの触れ合いですそれらがたまらなく好きでたくさんの元気をくれます! 普段の暮らしの中でのちょっとしたお出かけも私には、一人では出来ない事ばか
2024年1月3日 12:03
夢のマイホーム!「フリーター家を買う!」ではなくて「車椅子ユーザー家を建てる!」 その頃の私たちの住まいは予定通りに建て替えられた、きれいで、便利で、とっても使いやすい県営団地の車いす用住宅でした。お家賃もそれほど高くなく、建て替えの時には何度も現場へ行かせていただき浴室やキッチンなど全てチビな私に合わせて作ってくださいました。駐車場も玄関のすぐ前に2台分車椅子での乗り
2024年1月7日 13:24
夢のマイホームで同居生活ってさて、いよいよ夢のバリアフリー住宅計画が始動です。駐車場もキッチンも浴室も県営団地よりも暮らしにくくなっては意味がありません当時木造住宅には認可されていなかったらしいのですが、ホームエレベーターは必須ですさらに、いろいろ夢を見ていた私達は、あれもこれもと設備に注文をつけたのでしたさあ、大変ですどうなることやら、小さな町の建設会社が対応してくださるので
2024年1月9日 21:49
行くぞ!産婦人科!家に2人の主婦はいらないですよねと思い始めたころリハビリでお世話になった先生から連絡がありました。「病院で受付のアルバイトを募集しているの、どうかな」「フルタイムじゃなくて、週に2~3日なんだけどね」仕事を辞めてしばらく休み、だいぶ気力も復活した頃でした、「行きます」「お願いします」またまた専業主婦は一休みして、嬉々としてアルバイトを始めました。やっぱり仕事
2024年1月10日 20:40
「おめでとう、奇跡だね」産婦人科ってどんな感じなんだろう若い女の人が大勢いるんだろうなみんなおなかが大きくて、幸せそうにキラキラしてるのかな そこへ車いすの私が一人で行ったら絶対に注目の的だよねなんて思われるんだろう 妄想や卑屈な考えがあとからあとから湧いてきて止まりませんあ~やっぱりやめようかな 就職はしてみて、ダメなら辞めればいい結婚もしてみて、ダメなら離
2024年1月13日 16:45
「産まれたよ、見においで!」諦めたとたんに私のおなかに宿った小さな命その頃、我が家には1歳になったばかりの長男がいました血はつながっていませんが名前はたつのりといいます。たつのりの可愛い姿を思い浮かべて辛い不妊治療や検査も頑張れました 1989年(平成元年)3月26日「産まれたよ、見においで!」実家の母から電話がありました。「わかった、すぐ行く!」長男たつのりが生まれ