半世紀前から普通の人生に挑戦して、普通のおばあちゃんになった車椅子ユーザーの物語⑱
夢のマイホームで同居生活って
さて、いよいよ夢のバリアフリー住宅計画が始動です。
駐車場もキッチンも浴室も県営団地よりも暮らしにくくなっては
意味がありません
当時木造住宅には認可されていなかったらしいのですが、
ホームエレベーターは必須です
さらに、いろいろ夢を見ていた私達は、あれもこれもと
設備に注文をつけたのでした
さあ、大変です
どうなることやら、小さな町の建設会社が対応してくださるのでしょうか、
心配でしたが
そして、幸いにも
設計担当の方がとても熱心にバリアフリー住宅を考えてくださったのです。
「〇〇さん、バリアフリーのモデル住宅があるようなのでご一緒に見学行っていただけませんか」
とか
「クローゼットのバーなんですけど、普通のでは届かないですよね、
スウェーデンでこういう便利そうな器具があるんですけど
どうでしょうか」
などといろいろ提案してくださいました。
「いろいろ大変なことをお願いして、すみません」
「ありがとうございます」
と言うと、
「いえいえ、他人様のお金でこんなに勉強させていただいて、
こちらの方が感謝ですよ」
「ほんとにありがたいことです」
「どうもありがとうございます」
と逆にお礼を言ってくださいました。
まあ、やはり予算は大幅にオーバーです。
で、限度枠いっぱい35年ローンになったわけです。
その頃は60歳定年でしたので、定年まで働いても返しきれないというわけです
「二人で働いているし(その時はまだそういうことにしていました)、
繰り上げ返済すれば大丈夫」
と夫を納得させ、理想のバリアフリー住宅が完成しました。
めでたく新居に引っ越し
専業主婦
姑との同居
妊活
という新たな挑戦が始まりました。
ワクワクばかりしていられないかも…
トントントントン
トントントントン
包丁の音が聞こえます
美味しそうな、いい匂いが漂っている
新しい我が家の
夕方のキッチン
夕飯の支度をしています
姑が・・・
私はリビングのテレビの前で
ドラクエにはまっています・・・
一番初期のドラクエです
「あ、お義母さんすみません」
「いいよいいよ、遊んでて」
「は~い」
ピコピコ、ピコピコ
こんな調子の嫁と姑でした。
夫の両親は九州出身です
義父(夫が中学3年生の時に他界)は海軍さんでした
そうです、
言わずと知れた
「男尊女卑」
義母は料理が得意で
可愛い息子に手料理を食べさせられることをとっても喜んでいました。
なので、
お任せです
姑は、朝起きるとかいがいしくお茶を入れて
お仏壇に手を合わせ
夫(息子)が出勤する時は、玄関までお見送り
「行ってらっしゃい、気を付けて」
帰宅時間にはスリッパを用意してお出迎え
「お疲れ様」とお茶を出す
といった毎日でした
ふ~っ
素晴らしい
まるで昔のドラマのようでした。
そんな姑も、ひと通りの朝のルーティンが終わると
週に2~3日は趣味のパチンコにご出勤していましたので、
私はのんびりと毎日を過ごしていました。
普通の姑との同居生活って
こんなものなのでしょうか。
そろそろ妊活かな。