【 #読書感想文 】東浩紀『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』
本を読んだらちょっとした読書感想文と要約を残しておくことにした。第1弾は東浩紀氏の著書、『動物化するポストモダン オタクから見た日本社会』(講談社現代新書、2001年)だ。
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ポストモダンの哲学・思想というものに触れるのは本書が初めてであった。専門用語や東が生み出した語が飛び交うのだが、しかし思っていたよりもすっと入ってきた。
それは私もオタクだからだろうか。あるいはこの書籍が出版された2001年よりも、オタクとオタク以外という二項対立の構造が瓦解しつつあるからだろうか。
1988-89年に起こった猟奇的な事件(私が生まれる前である)からオタクは「非社会的で倒錯的な性格類型を広く連想させることになってしまった」* とされているが、これは今日を生きる10代・20代には、悪いことに馴染みのない出来事だ。
あるいはこの事件を鮮明に記憶している世代の方なら──いやそうでなくとも、オタクに対する偏見を持つ人はいるのかもしれない。しかし少なくとも私は、この語を使うこと、使われることをあまり気にしてはいなかった。
むしろオタクという言葉を、単体ではあまり聴かなくなった気もする。「○○オタ」という複合的な短縮語は浸透しているが、「お前オタクだな~」なんて会話はもはや耳にしない。
今日においてはオタクとオタク以外の二項対立どころか、オタクとその類縁のコミュニティを隔てる壁をも崩れ去っているのかもしれない。
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さて、本書はポストモダンと呼ばれるこの時代を、「データベース」とその「シミュラークル」から成る「データベース・モデル」として捉え直している。なお「シミュラークル」とは、作品や商品のオリジナルでもコピーでもない、その中間形態とされている。**
ポストモダンにおける人びとは、データベースの情報から生成されたシミュラークルを消費しているのだ。
そしてタイトルにもなっている「動物化」とは、欠乏が満たされても消えない(満足しない)人間だけが持つ渇望である「欲望」を、欠乏─満足という回路を閉じることで動物のように「欲求」を満たすようになる状態のことである。従来の人間は「欲望」をもって自己意識を持ち、社会関係を形成しているのだった。
しかしいまや食欲や性欲といった「欲望」は、面倒くさいコミュニケーションを介さずともインスタントに「欲求」として満たすことができる。その意味でわれわれは「動物化」している。
東はポストモダンに出現した新たな人間を、「データベース的動物」*** と名付けている。
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以上の内容はめちゃくちゃ要約していることをご承知置き願いたい。これまた端折ってはいるが、「大きな物語」「小さな物語」「大きな非物語」などとても重要な語彙は他にもたくさんある。それらがデータベース・モデルを通して紐付けられるさまは、軽妙かつ的確だったように思う。
序盤で述べたように、専門用語が出てくる割には内容が入ってきやすい書籍に感じた。それだけデータベース的な消費行動がいまの社会に浸透している、ということを実感したのだろう。
要約する際、私はオタクという言葉を用いなかった。あえて抜き出すと誤解を招く可能性があると判断したからだ。やはりこの語は形骸化しているように思う。もう「○○好き」なら「○○オタ」とほぼ同義なのではないか。
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これを機に構造主義・ポスト構造主義やモダニズム・ポストモダニズムの思想を学んでいきたい。
本書を読み切った日、ちょうどジャン・ボートリヤール『象徴交換と死』(ちくま学芸文庫、1992年)をブックオフにて購入してきた。また橋爪大三郎『はじめての構造主義』(講談社現代新書、1988年)が積ん読( #physicaltsundoku )になっている。ぼちぼちこれらを読んでいこう。
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最後に本書の終わりに記されている言葉を引用しておく。何かと区別したがりなわれわれに対して、省察を促してくれることだろう。
注釈
* p.9-10
** p.41
***p.140