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映画(ホラー以外)

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明滅する光と闇の記憶装置に関するてきとうな感想を、それっぽく書いているだけです。
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2024年11月の記事一覧

『首』 映画の「首」すらも斬首したかのような「失敗」に成功した嘲笑の傑作

『首』(2023年/北野武) 【あらすじ】 首の取り合いっこしていたらどんどん人が死んでいく 戦国版『アウトレイジ』を渇望する観客の期待に一切応えようとせず、芸術三部作(『TAKESHI'S』『監督ばんざい!』『アキレスと亀』)というリハビリを経た末に肩の力を抜いて『アウトレイジ』という娯楽映画を撮るも、再び『みんな〜やってるか!』で挑戦した「ビートたけし監督作品」に猛進する北野武の姿に虚しさを感じた。この"虚しさ"は『君たちはどう生きるか』を作った宮崎駿とニアイコールと

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』 絶望の時代には、それ以上の絶望を

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012年/庵野秀明、摩砂雪、前田真宏、鶴巻和哉) 【あらすじ】 目が覚めたらみんなめっちゃ怖い 新エヴァで唯一繰り返し観ているほど好きなのが『Q』。その理由はまず、旧エヴァ特有の病み感、真っ黒なドロドロ感、居心地の悪さみたいな鬱屈したヤバイ感覚に、本作が最も近いからなのだと思う。 あともう一つの理由としては、単純に作画のレベルがシリーズで最も高い。死ぬほど画が美しいアニメーション。 『破』でせっかく新しいことをしたのに結局鬱アニメに戻

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』 アスカ搭乗時に映画館で「嘘でしょ……」とつぶやいた女の子は元気にしているだろうか

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2009年/庵野秀明、摩砂雪、鶴巻和哉) 【あらすじ】 俺たちの知ってるエヴァじゃない?! 誤解を恐れずに書いてしまうけれど、それまでの旧エヴァの惣流・アスカ・ラングレーという人は、かなり"病みがち"なキャラクターだった。ツンデレでありながらメンヘラ。自信過剰でありながら自己嫌悪に陥る。外面と内面のアンビバレントに引き裂かれながら嘆き苦しむアスカの姿を見ているのは、エヴァファンとは言えど辛く悲しいものがあった。 それに比べて、式波アスカ

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』 この時は、まさか完結まで14年掛かるとは思いもしなかったよ、綾波ィ!

『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』(2007年/庵野秀明、摩砂雪、鶴巻和哉) 【あらすじ】 エヴァの作画が変わる 『序』に関しては、めちゃくちゃグラフィックの美しさが向上したのは確かだけれど、テレビシリーズ及びヤシマ作戦までの総集編という印象が個人的にはどうしても強かった。 仮にも、旧エヴァを認知していない人にとって、『序』は一本の映画として歪な作品になっているはずだよなー、くらいには思っていた(ストーリーテリングとして)。劇場鑑賞時も「おさらいあざっす、で、破の予告早く

『玉城ティナは夢想する』 もしかすると、「撮りたい」は「なりたい」というあこがれなのかもしれない。

『玉城ティナは夢想する』(2017年/山戸結希) 【あらすじ】 玉城ティナになりたいと妄想する バイオレンス映画。皮肉ではなく、これは暴力についての映画だ。「今そこにある美に対してカメラを向ける」ということの暴力性を山戸結希は認識しつつ、欲望のままに被写体を「傷付ける」。そして、傷付ければ傷付けるほどに、被写体・玉城ティナの刹那的な美しさが増すことも熟知している。 激しいカット割はまさしく被写体そのものを「解体/切断」していて、カメラは「ナイフ」のようである。「ポップで

『メリー・ポピンズ』 スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャスな映画と、カウンター・カルチャーとしてのメリー・ポピンズ

『メリー・ポピンズ』(1964年/ロバート・スティーヴンソン) 【あらすじ】 空からメリー・ポピンズが降りて来る 星10。いつ何度観ても圧倒的に素晴らしすぎる、愛すべき大切な一本。 とにかく「映画が喜んでいる」という楽しさでみなぎっている。ほとんどドラッグ的な幸福感の連べ打ち。ジュリー・アンドリュースは生きて歌って踊る「幸福」そのもの。ウルトラナイスガイの我らがディック・ヴァン・ダイクは、彼が楽しそうに思い切り踊っているだけで、涙が出るような感動が湧き上がる。本作が名作

『オースティン・パワーズ:デラックス』 バカでアホでどーしようもない映画には、それだけで価値がある

『オースティン・パワーズ:デラックス』(1999年/ジェイ・ローチ) 【あらすじ】 スケベでアホなスパイが再びスケベでバカなことをする 人間なんか平等にクソで、平等になんの意味もない。そして、そんな人間の100年も無い人生なんてクソまみれだ。苦しみや絶望が止まない雨のように降り続け、欺瞞と嘘で溢れ返った最低の世界で、ぼくらは今日も「クソッタレが」とつぶやきながら、腹にクソを溜め込んで生き続ける。 しかし、どんなに辛いときにも、芸術や表現はすぐ隣でぼくらに微笑みかけてくれ

『突然炎のごとく』 恋愛の成就よりも、恋愛の破滅を描くために映画は存在している

『突然炎のごとく』(1962年/フランソワ・トリュフォー) 【あらすじ】 男二人、ひとりの女に出会い、勝手に破滅してゆく 恋愛映画ではなく、男と女の戦争の映画。『死刑台のエレベーター』や『恋人たち』で、男を破滅させる女性を演じ抜いてきたジャンヌ・モローが「お前ら男の考えるステレオタイプな恋愛観なんかに負けてたまるか!!」と闘いを挑み続ける。もはやホラー。トリュフォー他作品だと『アデルの恋の物語』と同じおそろしさがある。 "男のように"髭を描いたカトリーヌが、男二人とかけ

『バッファロー'66』 物語とは切り離された「あってもなくてもいい時間」の心地よさ

『バッファロー'66』(1998年/ヴィンセント・ギャロ) 【あらすじ】 ボンクラ男の前に天使が降りてきた オシャレ版『タクシードライバー』。ダメ男と小太りのぽちゃ娘の拉致から始まる恋愛という設定からしてヘンテコなのだけれど、やっぱり面白い。ヴィンセント・ギャロのナルシズムが(良い意味で)キモくて可愛くて、アーティスティックな作風にてらいが無いのも、今になればとても好感が持てる。 この作品自体が僕にとって、なんとなく微妙な位置・距離にあった感覚というのは、たとえば「『バ

『その男ヴァン・ダム』 結局、映画を観ることは孤独な行為なのだから、その孤独が自分にとってどんな意味があるのかだけが重要だ

『その男ヴァン・ダム』(2008年/マブルク・エル・メクリ) 【あらすじ】 ヴァン・ダムが酷い目に遭ってメソメソする 確か公開当時、シネコンが一軒しかない田舎(実家)に住んでいた僕は、ヴァン・ダムのメタ映画!俺の住む街ではやらない!でも観るっきゃない!と、この映画を観るためだけにユナイテッド・シネマ豊洲まで片道2時間掛けて上京したのだった。 豊洲のロビーには007の『慰めの報酬』のバカでかいポスターが吊るされていて、やっぱり東京はスゲーと胸躍らせながら客席へと向かった。

『いぬばか』を観て時間を無駄にした人間はあなただけではない、そう投げかけるために映画ファンは存在している

『いぬばか』(2009年/ヨリコジュン) 【あらすじ】 スザンヌがペットショップで働く この映画よりも酷い映画を作れと言われても作れないレベルで壊滅状態だが、こういった映画のフリをしたやる気のない破廉恥な犯罪的駄作からしか摂取できない豊かさというものは絶対にあり、そこには常識を逸脱したクリエイティビティの一端を垣間見ることができるはずだと、とにかく90分間DVDを停止せずに画面を見つめ続けることから逃避しない懸命さをもってして、映画ファンも映画作家も形成されるはずである。

『劇場版 シルバニアファミリー フレアからのおくりもの』 モノは買うな!作れ!そして家族も作れ!という超過激クリエイト主義の怪作

『劇場版 シルバニアファミリー フレアからのおくりもの』(2023年/小中和哉) 【あらすじ】 ミッドサマーみたいな村で娘がお母さんへのプレゼントを熟考する 激DIY創作推奨映画かつ反資本主義映画。でありながら、ほとんど宗教的とも揶揄できるファミリー大賛美映画でもある。クライマックスなんか統一教会かよと感じた(褒めています)。結婚最高、夫婦最高、家庭最高、親最高、子は親を崇めよ、そんな思想で埋め尽くされたシルバニア村は必ず「二人身」以上のコミュニティとして機能していて、夫

『曖昧な未来、黒沢清』 黒沢清という被写体

『曖昧な未来、黒沢清』(2003年/藤井謙二郎) 【あらすじ】 キヨシがかわいい 被写体として主役に徹する黒沢清を愛でられるただ一本の映画。 最近になってよく考えることは、自分は黒沢清の映画が好きなのか、それとも黒沢清本人のことが好きなのか、ということである。まあこんな問いはくだらなくて、もちろん答えは、どっちも超好きなんだけれど。 自分が作家主義な映画ファンだということを抜きにしても、黒沢清という人間の魅力についてはこれからも考えていきたい。 あの野球ベースのような

『哀れなるものたち』 個人主義万歳! 自由意志万歳!な作品をランティモスが撮ると、ガールズ・フランケンシュタイン映画になる奇特性

『哀れなるものたち』(2023/ヨルゴス・ランティモス) 【あらすじ】 わたしのからだの使い方を誰にも決めさせない 男性社会が作り上げた善も悪も含めたルールや社会構造に対して、女性が介入してくることで、その「正義」あるいは「自由意志」でそれらをかき乱す、カオスにかき乱す、そして次の段階へと歩んでいく、そんな強さがみなぎっている。 そして、それは性差を超越しながら、「自分」の肉体をもって「自分」を取り戻すまでの「冒険」の物語で、その主人公・ベラの生き様にはアッパレ!という想