『突然炎のごとく』 恋愛の成就よりも、恋愛の破滅を描くために映画は存在している
『突然炎のごとく』(1962年/フランソワ・トリュフォー)
【あらすじ】
男二人、ひとりの女に出会い、勝手に破滅してゆく
恋愛映画ではなく、男と女の戦争の映画。『死刑台のエレベーター』や『恋人たち』で、男を破滅させる女性を演じ抜いてきたジャンヌ・モローが「お前ら男の考えるステレオタイプな恋愛観なんかに負けてたまるか!!」と闘いを挑み続ける。もはやホラー。トリュフォー他作品だと『アデルの恋の物語』と同じおそろしさがある。
"男のように"髭を描いたカトリーヌが、男二人とかけっこをして、彼女はあまりにも速く疾走する。男たちは彼女に追いつかない。
もはやこのシーンがこの映画の全てを表している。
観劇後の帰り道、ヒロインに共鳴するカトリーヌと、あんな女はおかしいよと批評し始めるジュール。突然、セーヌ川に飛び込むカトリーヌ。しかし男たちは二人とも川には"飛び込まない"。そしてカトリーヌはひとりで泳いで岸へとたどり着く。ナレーションが語る。「その時、彼女は勝負に勝ち誇ったような顔をしていた」彼女の"女としての戦闘"は、ここからゴング!
親友の嫁だからといって特にカトリーヌへ興味を抱いていなかったジムが、彼女との会食で待ちぼうけを食らって、じらされて、その日から次第に彼女のことが気になって仕方なくなってくる感じ、超こわいのだが。心理サスペンスじゃん。
カトリーヌの裏返しのように"男性の考える都合のよい女性像"として、酒場で登場するめちゃくちゃベラベラと喋るテレーズちゃん(彼女の話をジムは全然聞いてない)や口の利けない頭カラッポちゃん(喋れないけどセックスは上手いと説明される)など、トリュフォーの目線は鋭い。
ジュールは劇中「男の理想とされている女性たちは男たちの幻想に過ぎない。なぜ理想とかけ離れたカトリーヌを求めてしまうのか。それは彼女が"リアル"だからだ」と語る。
そういった女性の型から逃げ去り続けたい、カウンターカルチャー的な象徴たるカトリーヌの勇姿。
でも、家の前で車激走はストーカーですよ。
作中当時のサイレント映画を模した構図や、超絶テンポの良い編集(なにせ20年くらいの時間を1時間40分で語り切る!)など、久々に観たら楽しい発見もたくさんあった。『グッドフェローズ』のナレーションとモンタージュって、完全にこの影響下にあったのか。
同じ三角関係モノなら『冒険者たち』や『明日に向かって撃て!』、ゴダールの『はなればなれに』などがあるけれど、コレが一番怖くてヘンな映画。
トリュフォーは恋愛の成就ではなく、恋愛の破滅にずっと興味があった作家だけれど、自由奔放で、どうしようもなくて、毒でも薬でもあるのに、どうしても惹かれてしまって、やがて破滅に導かれるカトリーヌに対する想いは、今なお新鮮に感じられる。