『哀れなるものたち』 個人主義万歳! 自由意志万歳!な作品をランティモスが撮ると、ガールズ・フランケンシュタイン映画になる奇特性
『哀れなるものたち』(2023/ヨルゴス・ランティモス)
【あらすじ】
わたしのからだの使い方を誰にも決めさせない
男性社会が作り上げた善も悪も含めたルールや社会構造に対して、女性が介入してくることで、その「正義」あるいは「自由意志」でそれらをかき乱す、カオスにかき乱す、そして次の段階へと歩んでいく、そんな強さがみなぎっている。
そして、それは性差を超越しながら、「自分」の肉体をもって「自分」を取り戻すまでの「冒険」の物語で、その主人公・ベラの生き様にはアッパレ!という想い。
たとえばリドリー・スコットの『最後の決闘裁判』も好きなフェミニズム映画だけれど、男性支配をカオスに回避していく、という意味で、本作は『最後の決闘裁判』にあったようなあきらめとは訣別している。
カオスにかき乱す、カオスで支配から回避する、ありそうでなかったフェミニズム映画だと感じる。
何より、超分かりやすい、誤読のしようがないパッケージング感が出せているのも良い。
よく考えたら、エヴァで庵野がやっていた「男が抱く女への都合の良い幻想」、「男メソメソメンヘラ吐露」、「女に支配される恐れ/されたい願望」みたいなことを実写で上手くやっている作品でもある。
とは言え、普遍的な「人間の人権や尊敬の目覚めの映画」でもあるので、あんまりフェミニズムという側面だけで語りたい作品でもないのだけれど……フェミニズム映画としても強すぎるよね、という。
比べるのは粋じゃないかもしれないが、同年に製作されたグレタ・ガーウィングの『バービー』は、人形を人間が演じることにより生じた実存主義的な問いかけが素晴らしい作品だった。だから自分はSF哲学コメディとしてあの映画が好きなのだけれど、突然のアメリカ・チャベスによる演説が顕著で、これはフェミニズムの映画でもありますという表明こそが中途半端な印象を与えてしまい(なんなら作劇を停滞させている)、むしろケンの描写とのバランスを考えても、あれが最適解だったのだろうかとは感じている。
マーゴット・ロビー(33歳)が自身でプロデューサーも務めたガールズムービー。
対してエマ・ストーン(35歳)が自身でプロデューサーも務めた『哀れなるものたち』は、主語が大きくなりがち&作劇的な停滞(言いたいこと優先)に陥りやすい"フェミニズム映画"を、絶妙な塩梅で戯画化、メッセージもテーマも個人の感情に落とし込んでいて、それが全て成功していると感じた。
だから台詞もそれぞれ嫌味に感じることなく、物語の作劇と「言いたいこと」が合致しているのが巧かった。かと言って、台詞で語る映画でもなく、ちゃんと画と展開で魅せるのが良い。
少なくとも、誰か(作り手)が言わせている感がない、マジでベラがそう思ったから言っている、という説得力がエマ・ストーンの芝居には備わっていた(若干オーバーアクトなのが批判されがちだが、赤ちゃんなんだから+それがエマ・ストーンの魅力だろ!!と反論)。
(ってか、エマ・ストーンもマーゴット・ロビーもライアン・ゴズリングも、みんなデミアン・チャゼルの映画に出てる!だからなんだ?!)
結局、物語以前にベラ=エマ・ストーンの肉体、言動、行動をもってして"フェミニズム映画"として完成され切っている。脚本がどうとかじゃない。だからもう、ベラというキャラクターを獲得してる時点で勝ちな映画。
正直、ビックリするくらいランティモスっぽくないので(笑)、良い意味で拍子抜けした感もあるし、撮影も魚眼レンズとアイリスショットくらいしか工夫がなくて、あとはひたすら訳分からんタイミングでのズーミングばかりで流石に引き出し無さすぎる。もっと映像でバリバリに遊んでいい題材なのに、ティム・バートンと比べるまでもないイマジネーションの乏しさはデル・トロの『ナイトメア・アリー』を思い出す(『哀れなるものたち』も『ナイトメア・アリー』も、美術や衣装が素晴らしいし好きな映画だけれど、く、狂ってる!!というヴィジョンまでは到達できていない)。
ただ、そういった演出の乏しさが気にならないくらいには、観客をグイグイと引っ張る面白い映画。つまり、そういう映画じゃないしね、という。
エマ・ストーンが船で出会うおばさん(まさかのファスビンダーのミューズことハンナ・シグラ!)が最高。マーク・ラファロが本を海に投げ捨てると「ほいさ」と次の本を渡してくれるの最高。そういったアクションで「読書マジ大事」と教えてくれるの最高。椅子に座ったおばさんをマーク・ラファロが海に投げ落とそうとするも「殺してくださいな〜」とニコニコしてるのも最高。おばさんの性事情にいちいち目ん玉大きくしてリアクションするエマ・ストーンも最高。エマ・ストーンは本当にリアクション最高女優。
まあ、スケベ親父を演じたマーク・ラファロがオロオロと自滅していく芝居も最高なんだけど。
ウィレム・デフォー演じるフランケンシュタイン博士も、ランティモス映画に似合わない父性に目覚めたマッドサイエンティストで、オマエもヤベーなと最初は観ていたが(ぷかぷかとシャボン玉を吐き出すな)、次第に哀愁が漂ってきてしまう演技が最高……。だからたとえば、ラストは博士も肉体を取り戻して(ヤギじゃなくて博士の脳みそを移植して)、家族みんなで大団円ハッピーエンドでも良かったんじゃない?とも思った。ベラは復讐っぽいことは選ばなくない?とも感じたが、まあそこも彼女の自由意志だと思えば何でもアリだし、流石にアッパレ!なラストなのは間違いない。
ベラ2号を演じたマーガレット・クアリーも良かった。あの子のことも愛してやってくれ……。
先っちょに馬の頭を付けた車だから"馬車"ってギャグが面白かった。
ベラが思わず踊り出すシーン、「アタイが踊りたいように踊る!」「男の相手として踊ればいいんだよォ!」「イヤだ!」なダンスが演出も芝居もメッセージも何もかも良くて強い。ダンスが生まれる瞬間をちゃんと撮ってる感。マーク・ラファロがどうしてもペアダンスに持って行きたくてエマ・ストーンと格闘しているのが滑稽である。
死にゆく人々を見て絶叫し、「私は羽のベッドで眠るの。溝で赤ん坊が死んでいるのに」「世界に何かを差し出したくなった」と嘆く彼女にグッときて泣いた。
ベラが娼館でお客さんと「あなたは子どもの話をして、わたしはジョークを言うね」と会話するシーンで、ついに人と初めて「交流」をすることができたという喜びで、ベラが心の底から嬉しそうに笑っているところで泣いた。
サントラ聴きながら作業していたら、普通にラストの曲がエモすぎて泣いた。
結構泣いている。
「女性が選んでみてはどう?」
「そこに立つと太陽の邪魔」
「あれは私じゃない女性の物語」
シナリオブックが欲しい!!
「性病検査も受けなきゃ」ってのも素晴らしい台詞!!
エマ・ストーンが、コレを絶対に今映画化したいとプロデュースに名乗り出た気持ちにも拍手です。