はじめまして。 白昼夢と名乗っている,しがない大学生でございます。 プロフィールに書いているとおり,自分が日々思っていることを言語化して残そうと思い,noteを始めました。 つたない文章になっていくとは思うのですが,見守っていただければ幸いです。 私は,小学生,それも高学年という多感な時期にいじめ,それに伴う学級崩壊を経験しました。 その後中学校では楽になると思いきや,結局のところパワハラ教師に頭を下げ続ける羽目になりました。 高校受験でなんとか地元を抜け出し,そ
わたしは昔からよく相談事をされることが多い。 わたしの放つちょっとした負のオーラが人を惹きつけるのかも知れない。 この人なら言っても大丈夫かな。 そんなこんなで相談事を持ち込まれる。 メンタルがだめになった時に電話してきてありったけを吐き出していく人もいる。 酒を飲んで大泣きして暴れる人もいる。 少しだけ、愚痴をこぼした人に、ゆっくり話を聞いて愚痴をもっと引き出すこともある。 でもみんな、忘れている。 わたしのことは、誰も聞かない。 わたしは、愚痴を人に言う
自己肯定感。 高ければ高いほどいいとされる。 私は自己肯定感なんて皆無だ。マイナスだ。 自分のことなんて,どうやって好きになれるんだろう。 私は自分でも意識しないうちに,自分で自分のことを下げる発言をする。「私は馬鹿だから」 「みんなの方が上手に出来るよ」 「まあ私はゴミなので」 一度,友人が本気でやめろと言ってくれた。 「何でそんなに自分を否定するんだ。」 「自己肯定感をあげろ。」 それからずいぶん苦しんだ。 どうしたら自己肯定感をあげられるだろう。 どうした
たまに。 ごくたまに。 猛烈に死にたくなる。 「死にたい」というよりは 「生きていたくない」と言う表現が適切かも知れない。 いまでは友人にも恵まれ,居場所もあるように感じる。 でも, とても孤独だ。 人に,自分の感情をさらけ出してしまっては また裏切られるかもしれない。 また嫌われるかもしれない。 またあの地獄に連れ戻されるかもしれない。 また,また,また。 そう思うと,自分をだせない。 悩みなんていえないし, 何事も断れない。 でも,なぜか私は人の相談
Q.「人生を変えた一冊といえる本はありますか?」 A.「あります。その本を読んでから,私は木曜日にココアを飲みます。」 私の人生をかえた一冊は 青山美智子さんの「木曜日にはココアを」だ。 私は一人旅をするとき,本屋で1冊,目についた本を買うことをルーティンにしている。 一人旅は大抵電車で移動するため,その移動時間に読めるぐらいの文庫本を探す。 その日も本を探していて,たまたま「ココア」という字が目についた。 私は甘党で,ココアは大好きな飲み物の一つだ。 「なん
今からはおまけ。 そう生きると誓った。 結果から言うと,高校生活は,素晴らしかった。 もちろん,自分が変わったのもある。 人より目立たないことを徹底したし,責任ある立場は避け続けた。 先生にはもちろん,友人にも自分にも期待することをやめた。 でも,それ以上に,周りが変わった。 失礼な言い方かもしれない。 でも,素直に,学校自体の偏差値が上がると,こうもそこにいる人間がかわるのか,とびっくりした。 みんな不毛な争いを嫌う。そうならないように考える。 不毛な争いを
思えば,この頃が人生の底だった。 まだそんなに生きたわけではないが,断言できる。というか,したい。 人生に,人間に,世界に,絶望した。 その頃から,死にたいが口癖になっていった。 自傷癖も加速した。 別に死にたいわけじゃなかった。 もうこれ以上,生きていたくなかった。 そんなことを言っても,結局死ななかった。理由は分からない。 多分,運が良かっただけだと思う。 何かきっかけがあれば,簡単に散っていただろう命だったと思う。 でも,死ななかった。 なんでだろう
体育委員にはなるしかなかった。 体育委員が嫌なら学級委員をしてもらうかも,と担任に言われてしまった。 どうせ逃げれない。 じゃあ,流れには逆らうべきではない。 そこからは地獄だった。 体育のたびに先生に叱責されるのではないか,とおびえる恐怖。 体育の授業がある日は,クラスメイトが余計なことをしないか気を張りつづける。 うまくやれなければ,1ヶ月コースだ。 そう言い聞かせて,1年間乗り切った。 気を張り続けていたおかげか,私のクラスは1ヶ月コースを経験せずにす
それは「先生」だった。 私の中学校はそんなに偏差値が高くなかった。 だから,「勉強できるやつ=仕事できるやつ」みたいな方程式が出来ていた。 何の証明も出来ない方程式。 成り立たないことを歴史が教えてくれる方程式。 でもこの方程式に3年間苦しめられることになった。 「おまえ,体育委員やってくれ」 担任の先生に不意に言われたときにはびっくりした。めんたま半分は飛び出していた自信がある。 私の学校では体育委員が委員長の次に重要な役割だった。 理由は単純。 先生が抜
結局,いじめっ子とおんなじ中学校に入学した。 先生方に頼んでいたからおんなじクラスにはならなかった。 でも同じ校内。顔を合わせないって無理だった。 たまに会ういじめっ子は,すっかりクラスになじんでいるようにみえる。 そうは問屋が卸さない。 「あの子と仲良くしたらいじめられるよ。」 そんな噂がまことしやかに校内に流れ,だれもいじめっ子に近づこうとしなかった。 これが天罰ってやつか。そう思った。 でも,同時に, 結局人間は,人間を排除しないと生きられないんだと思った
※自傷表現が入ります。苦手な方は読むのをおやめください。 あの頃は大変すぎて,自分の気持ちに蓋をしていました。 つらかったはずなんです。 助けてほしくても,周りには期待できない。 両親は仕事が忙しく,私のことで迷惑をかけてはいけないと思い込んでいました。また,精神病を信じないタイプの人間なので,「精神的につらい」というSOSの発信が出来ませんでした。 こころはこんなにしんどいのに,元気そうに見える。 そのバランスが怖くて,嫌で。 物理的に体に傷をつけることをやめられ
3ヶ月後,ようやく花子から逃げることが出来た頃には,私は壊れる寸前でした。 誰かに助けてほしかった。でも,誰も助けてくれなかった。 この頃のクラスの雰囲気は最悪でした。 いじめっ子に逆らえば自分がいじめられる。 何もしなくても,次は自分かも知れない。 いじめっ子は次々にターゲットを変えて既存の関係性を壊していく。 そんな中では勉強に集中なんて出来るはずもなく。 授業中も好き勝手し放題でした。 さすがに他クラスの先生方の目にもとまっていたと思います。 でも,先生
1年もすると,先生をいじめるのにも飽きたクラスメイトたち(ここからはいじめっこと呼びますね)は次のターゲットを探し始めました。 そこから,教室内でだれかが代わる代わるいじめられる,そんな1年が始まりました。 最初に,私たち4人グループにいじめっこたちは目をつけました。 休み時間や放課後に執拗に声をかけてきて,仲良くなることを強制してきました。私たちは戸惑いましたが,断る理由もない。だんだん最近仲良くなったなと感じていました。そんなことをのほほんと思っているうちに,いじめっ
クラス替え後のクラスは早くも不穏な空気が漂っていました。 担任の先生は,新任の女性の先生でした。 あんまり怖くなさそう。 それだけでクラスの男子は先生をなめてかかりました。 授業中に騒ぎ,ふざけ,席を立つようになりました。 それにつられてクラスの雰囲気はどんどん悪くなっていきます。 授業はだんだん成立しなくなりました。 席に座っている子はどんどん減っていきました。 校則で禁止されているはずのゲーム機や雑誌がクラスに増えていきました。 私はどうしていたかというと
新しい教室に入っても,見知った顔はほとんどいませんでした。 3クラスしかないと思っていましたが,私の交友関係は案外狭かったようです。 自分の席を探して座ると,後ろの席に座っていた子に声をかけられました。 「私,花子っていうの。よろしく。」 さっきの記事で,新しい教室に入ったが運の尽きだったみたいなことをつらつら書きましたが,ここでも運が尽きてます。運なんか尽きまくりです。まあ運があればこんな人生送ってないですね。はい。 まあ,そんなこんなで私の地獄案内人の登場です。
小学校の頃のお話を書いていこうと思います。 小さい頃ははかなり快活な子供でした。 ハキハキと話し,授業中も休み時間もとにかくよく話す子供でした。 いろんなことに興味があり,ピアノ,スイミング,テニス,バスケといろんなことを習い事でかじっていました。今思えば,ひとつのことを一生懸命やっておけば良かったですね。 小学校中学年まではそんなこんなでのほほんと暮らし,友人関係のもめ事とはまるで無縁の生活でした。 大きな転機となったのは小学校5年生の時のクラス替えです。 私の