「嫌なことに嫌だ!」と言ったその先
「言わないことが美徳」
そう聞くと、昔の日本の価値観のように聞こえるかもしれません。
しかし、
現実は、未だに続いています。
「何も言わないでその場から立ち去ればいいのに」
「言うと揉めるんだから言わなきゃ良いんだよ」
など、
正確には、何も言わなければ表面的には人と揉めることはないので、その方法が最善だという価値観はアップデートされていないと私は考えます。
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なぜ、この価値観をわざわざアップデートする必要があるかというと、
この方法では、自分の意見を言った「その先」を知ることはできないからです。
1「自分の意見を言った後、気持ちの落とし所を見つける方法を知らない」
2「自分の意見を言った後、人間関係がどう変わるかを知らない」
3「自分の意見を言った後、自分がどんな気持ちになるのかを知らない」
それなのに、なんで「言わないこと」が最善の方法だと分かるんでしょう。
自分の意見ばかりを貫いて言い過ぎるのは良くないかもしれないけど、だからといって何も言わないのは、表裏一体で同じことでもあります。
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ここまで言う理由は、
経験上「自分の意見は言った方がいい」と私は思っているからです。
私は、
「嫌なものには嫌だと言う」
「間違っていると思うことは間違っていると言う」
「聞きたくない話には聞きたくないと言う」
自分はそういう人でいたいという想いがあります。
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そして、
自分の気持ちを言った結果としては、
1「ある程度のところで気持ちの落とし所を見つけられる」
私は、自分が納得できない思いをさせられると、その不快な気持ちはずっと残る人です。
その行き場のない不快感を持ち続けたままだと、関係のない人や大切な人に愚痴を言って人間関係を悪くしたり、心が荒んで、今度は自分が不快な思いをさせる側になる可能性も出てきます。
そうならないために、極力、不快な思いをしたら、本人に言うようにしています。もちろん、TPO に合わせて自分の出し方は変えるので、場数を踏みながら自分の出し方も調整しています。
とはいえ、私も初めから意見を言える人ではありませんでした。
最初は、自分の意見を貫くことに怖いと感じたり、どんな風に伝えたらいいかも分かりませんでした。
それでも、毎回毎回工夫しながら自分の気持ちを言うようにしていたら、言い方や言葉のチョイスも磨かれていきました。
そうすると、不思議なことに、
自分の意見を言わないようにしていた時は、
時間が経ってから、本当は言いたかった気持ちと、消化しきれないやり場のない不快感とで、後から『こう言えば良かった』と「不快な気持ち」は「言えなかった後悔」へと形を変えて何十年経っても残ってしまうこともありました。
それが、自分の意見を言うようになったら、
自分の譲れない範囲は主張できていることで『これ以上は言わなくて良かった』と、必要以上に言い過ぎなかった自分を褒めることさえあります。
その後、ふと、また不快な気持ちを思い出しても「あの時に自分の言いたいことは言ったからもういいや」と、気持ちを切り替えれるようになったことで、少しずつ自分の中で整理しながら消化できています。
2「自分と合わない人達は自然と離れていった」
私が自分の考えや想いを表に出しているのには「相手がどんな私と付き合ったらいいのかを分かりやすくするため」でもあります。
好きなものはもちろん、嫌いなものや不快に感じることをストレートに表現することで、相手は「この人はこれが嫌なんだ」と分かりやすくなります。
そのことで、私と合わないと感じた人は居心地が悪くて自然と離れていくけど、こんな私でも良いと思ってくれる人達は離れないでいてくれます。
なので、私も、自分の優しさを必要な相手だけに向けることができるため、私を大切に想ってくれる人達を大切にできる関係を築くことができています。
3「ますます自分が好きになった」
ある出来事が起こりました。
他の人なら何も言わないで二度とそこには行かないような場面だったかもしれませんが、私にとっては譲れないことだったんです。
なので、かなりストレートに相手に言いました。
その帰り、嫌な思いをさせられた不快感はすぐには消えなかったし、普段なら言わない範囲まで言ったので「言いたくなかったけど、かなり言ったな〜」「でも、絶対に譲れないことだったからしょうがないよね〜」などと複雑な心境にもなりました。
ただ、それ以上に、自分の気持ちをストレートに相手に伝えられた自分が凄いと思いました。「こんな私、素敵!」「こんな人、世の中に一人くらいいてもいいじゃん!」と自分の譲れない部分を貫いた自分をますます好きになりました。
私は「周りの人に大切にしてもらいたいなら、まずは、自分で自分を大切にしないといけない」と思っています。
だって「自分でも大切にしていない自分のことを、どうして周りが大切にしたいと思うのかな」という考えを心に刻みながら、周りに大切にしたいと思ってもらえるような自分を目指しています。
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このように、
私は、自分の考えや想いを表現することで自分らしさを大切にできている人です。
なので、私が自分らしく生きるためには、相手に何も言わないで立ち去るよりも、自分の譲れない所は主張して、理解してくれる達と共有していくことです。
それとは逆に、
不快に感じても、何も言わずに自分の中だけで整理して消化できる人もいます。
中には、
不快に感じた気持ちを自分自身で調整できないため、他の人に愚痴を言いながら、行き場のない気持ちを受け止めてもらうことで整理しようとする人もいます。
気持ちの整理や消化の形も人それぞれで違うということです。
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「喧嘩をする」「人と揉める」「トラブルになる」
これの何が良くないことなの?
と、私は思っています。
人間、一人ひとり価値観が違うんだから、お互いの価値観を照らし合わせた結果が喧嘩になることもあるかもしれないけど、大事なのでは「その後」です。
相手の気持ちを考えずに、そのまま自分の価値観を貫き通すこともあれば、お互いで相手の気持ちに歩み寄ることで、より一層、関係が深まることもあります。
実際は、そういう場面になったことで、相手が本当はどういう人なのかを知ることもできます。
人間関係に正解はありません。
しかし、自分の価値観を他人に押し付けるのは間違っています。
それは親子でも同じことです。
「自分以外他人」
自分の価値観を押し付けたくなる時は、自分の気持ちが相手に投影されていることが多いです。
自分が良いと思う考え方や方法を、他人に押し付けている自分に気づいた時に、自分自身を見直すことで、健全な人間関係を築くヒントが見つかるかもしれません。
こういう視点もあるということを知ってもらうことで「周りの考え方や多数派の意見」よりも「自分がどうしたいか!を優先させていいんだ」と考えることの参考にしてもらえたら幸いです。
旭心理コンサルタント
代表 旭 美由紀
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