#39【劇評・絶賛】猿若祭二月大歌舞伎・夜の部(前編)
日付をまたいでしまったけれど2月24日の分の記事です。最近毎日これですね……いかんなあ。でもほめられて伸びるタイプなので敢えて言います、昨日よりは、またいだ時間が短くできました、えっへん。
さて、猿若祭二月大歌舞伎・夜の部を観てきた話を書きます!
プログラムは下記のとおり。
昼の場と対照的に、血筋と芸の継承の最先端を魅せる夜の部でした。
歌舞伎って大河ドラマだ 猿若江戸の初櫓
立てる限りは舞台に立つ 中村福助丈
長らくご病気されていて近年復帰された中村福助さんが、福富屋女房ふくとして出演されていました。脳出血で生命の危機に瀕し、生還後も右半身のまひや「失語症」など重い後遺症と闘いながら舞台に立たれているとのこと(テレ朝ニュースから)。後見が付き立っているのも歩くのも大変そうでしたが、ご尊顔を拝することができてうれしかったです。夫役の芝翫さんがいたわしげに手を添えるのも仲の良い夫婦に見えて、芝居的にもとてもよかった。
歌舞伎役者の人生のどんなときも立てる限りは舞台に立ちそのすべてを見せる佇まいがここにも表れていました。福助さんは、故・勘三郎さんが猿若を演じた時に阿国を演じていらっしゃったそうです。今舞台で繰り広げられている演目それだけでも楽しめるけれど、長く愛される芸術だからこその、伏流する物語がある。歌舞伎は大河ドラマだ。
中村七之助丈 予め練り上げられた美しさがありながら、同時に初めて生まれ出るような新鮮さのある動き
七之助さんの阿国を観るのは2回目かな。
昼の部で鶴松さんのお光を見て「七之助さんのお光はどんなだっただろうか」と想像した後でこの夜の部を拝見したので、わたくしのようなシロートが大変おこがましいながら、いくつか発見したことがありました。
一つひとつの動きが、なんというか、「決まる」のです。言いかえると、「あるべきところにおさまる」。しかもその「決まる」ポイント、「あるべきところ」におさまるまでの動きがまた秀逸で、すべて予め定められたような美しい推移をたどってゆく。そのような動きでありながら、同時にまるで初めてこの世に生まれ出る線、阿国が初めて経験するかのような新鮮さのある動きなのですよね。くらたは日舞は全くわからないので本当にシロート目線で、このような者がああだこうだと申し訳ないのですが、なんというかこう、「すごいものを観た」のその「すごさ」は何からきているのか、考えて言語化したらそうなりました。
また、ハッと気が付くような表情・しぐさをする場面があり、そのリアルさにこちらもハッとしました。予定調和じゃない。
くどいようですがわたくしのような者が言うのは本当に愚かなことなのですが「今初めて気づいた」という演技はめちゃくちゃ難しいんです!だって演者は「今初めて気づく」ことを予め知ってるんだもの。大学の演劇サークルで、わたしが初雪に気が付いて「あ、雪だ!」と言って幕切れ、という場面を演じさせていただいたことがありますが、もうくっそほどダメ出しくらいました。結局開幕まで演出OKは出ず、本番でも全くできなかった記憶があります。
その黒歴史があるから、「気づいた」演技には過敏に反応してしまいます。
浅田真央さんの2015-16年「蝶々夫人」の冒頭も珠玉の「気づき」演技で鳥肌でした。(特によかったのはグランプリシリーズ中国杯2015)
総じて、解像度の高い、4K、8Kのような踊り・演技でした。とにかく素晴らしかった!
I can't stop this feeling !
七之助さんがイヤホンガイド用特別対談の中で、「勘太郎の猿若とあの花道の出で舞台に立ったら、自分が保てるかしら。特に初日が心配(泣いてしまうのではないかとの心配)」とおっしゃっていました。ほんと、その場面で勘太郎さんの見得が決まり「中村屋!」と大向こうがかかったときは泣いたよねー。
そういうもんです。
昼の部の鶴松さんもそうだけど、初めての大役で若い役者に大向こうがかかる瞬間ってもう暴力的な感動させ力がある。 I can't stop this feeling !
セリフ回しも、子役のものではなく、大人のそれになってきて、これからが楽しみです。
義経千本桜 すし屋の場 いがみの権太
人形浄瑠璃由来の独特な動き
一幕目の「猿若」とは異なり、人形浄瑠璃から歌舞伎になった作品は、動きが人形のようだと感じることが多いです。とくに女形は、一つひとつの動きの緩急やピタっととまる、ちょっとカクカクした独特な動きが美しいです。鍛錬が必要だろうと察せられます。
この独特な動きの美しさを魅せるヒロイン・お里役の中村梅枝さんは、先月、時蔵の襲名が発表されましたね。8歳の息子さんが梅枝を継がれるそうです。
昨年3月の『新作歌舞伎ファイナルファンタジーX』では妖艶な姉御のルールーを勤めていらっしゃいました。たたずまいも魔法バトルシーンもかっこよすぎて、梅枝ルールーが持ってたモーグリのぬいぐるみ買っちゃったよね。
いっぽう、今回は打って変わってかわゆらしい村娘のお里。男性が女性を演じるだけでもすごいのに、この演技の幅はつくづくすごいと思います。
はああ、これぞ、堂に入った村娘だなあと感動。
あっかんべ合わせ
この物語の主人公はお里の放蕩物の兄・いがみの権太(中村芝翫)。「いがみ」とは「ゆがみ」のこと。お里は大嫌いな兄に向かって「びびびびびぃ~」と今でいう「あっかんべ」をします。
昼の部の「野崎村」のお光もやってました。わたしはこれまでそんなに見たことがないので、この「びびびびび~」が入っている演目が多いというわけではないと思います。わざわざ合わせてくるあたり、また「合わせ」が近すぎないところも、抜群に洒落ていますよね。
「野崎村」との共通項で言えば、「野崎村」の久松(もとは武士の息子)とこの「すし屋」の弥助(実は平維盛)は同じ波のような縞文様の着物を着ていました(イヤホンガイドでこの文様の名前を言っていたと思うのですが忘れた……調べたけど出てこない! → 二回目の観劇で判明しました!「伊予簾(いよすだれ)」という文様だそうです。東京新聞サイトにイラスト入りで解説があります。以上2024/2/26補記)。これは、高貴な身分の男性が落ちぶれたり身をやつしているという符号なのだそうです。
さらにこのすし屋の名前は「釣瓶鮓(つるべずし)」。昼の部の「籠釣瓶(かごつるべ)」とも呼応してるんですね!おしゃれが止まらない!
舞台ならではの面白さは昔から変わらない
この演目の初演は享保4(1747)年。舞台ならではの、動きで見せる面白さは昔から変わらないんだなあと思わされた点がいくつかありました。
一つ目は、色男の弥助・実は平維盛(中村時蔵)がようやっと担ぐ重い寿司桶を、件のお里が軽々と持ち上げて見せるおちゃめなシーン。
二つ目は、登場人物は知らず、観客だけが知っている「入れ違い」によって物語が動いていく面白さです。舞台上に中の見えない寿司桶が5つ置いてあって、そのうちの一つに権太が大金を隠します。また別の一つにはお里の父親すし屋・弥左衛門(中村歌六)が生首を隠します。この二つの隠し事をめぐって、登場人物たちが右往左往するのです。こういうドタバタ劇って今もありますよね。
「もどり」という演出
この物語は、「いがみ」=放蕩息子だった権太が実は(いい奴だった)、というタイプの話です。この「実は……」と真相が解き明かされる場面を、「もどり」と呼び、一つの型となっているそうです。こうした名前の付いた演出では、「くどき」「だんまり」などはよく聞きますが、「もどり」は初めて聞きました。名前が付くとは、歌舞伎にとって人気のある大事な演出の型だったことがうかがえます。確かに今作でも、いがみの権太が父弥左衛門に責められ「実は」と打ち明けるラストシーンは見せ場です。
「いがみの権太」は人気演目でよくいろいろな役者さんが演じられるのですけれど、芝翫さんが初役とは驚きでした。芝翫さんの身体性や声やキャラクターにも合っていたと思います。昼の部の「釣女」での醜女役とは全く別の趣のお役でした。
脇道:note.の効用がここにも
実はこの「いがみの権太」、しょっちゅう上演されるので初めて見るわけじゃないのですけれど、全く内容を覚えていませんでした。そのため上にも「あんまり知らない」「初めて聞いた」などと書いています。
ここに書き始めてから物事を見る解像度が少しだけ上がった気がします。note.の効用ですね。
明日は、三幕目「連獅子」と、あらためてインタースコアについて書きます!