中西進『花のかたち』─日本人と桜【古典】(角川書店)
日本文学に表れる桜と日本人の心の関わりを描く。豊富な例に触れながら、桜と桜に魅入られた人々について語る。和歌が多いが、物語、能、歌舞伎、俳諧など扱う素材は多岐に亘る。たっぷりとした読者の楽しみに浸れる本。
「古今集」
春ごとに花のさかりはありなめどあひ見むことは命なりけり(九七) 読人しらず
〈花との出会いを命と見ることは、もちろん花にも命を感じるからで、二つの命の邂逅は、花、人ともどもの自然にゆだねられた運命の中で、落花をも見ようとする態度だと思われる。〉古今集の項の中で一番好きな歌だが、これは源氏物語の中で、柏木の死後、夕霧が柏木を偲んで詠った歌の下敷きになっているとのこと。
源氏物語と桜の因縁も面白かった。常に三月二十日あまり、桜の季節に何かが起こっている。
「花月百首」
藤原定家らに「花月百首」と称する連作があったとのことだが、その時代、連作という観念があったのだろうか。それはとにかくこの項で一番好きな歌は
春の花詠(なが)むる儘(まま)の心にて幾程もなき世を過さばや(六六五) 慈円
〈この桜へのながめという、どうやら慈円自身が統御しかねた心は、生涯の見通しのなかに持ち込まれ、第一首のように、それほど長くもない人生は、この心のままに過ぎてもよいと思わせる。〉この刹那的な感じが好きだ。
「藤原定家」
槙の戸は軒端の花のかげなればとこもまくらも春のあけぼの(三七六)藤原定家
〈この一首に言いようのない艶やかさが感じられるといったが、そのいいようのなさは、定家自身が見据え、表現しようとしたものと思われる。定家はそれを「にほふ」ということばに託そうとしたらしい。〉
〈定家の桜がまずは基本的に「にほふ」ものだったことが知られるであろう。そしてこの「にほひ」は縹渺と漂うもので、艶(えん)な情感を保ちながらも、色彩感は乏しいように思われる。だから「にほふ」という原義から遠く、例の本居宣長の「朝日ににほふ山桜花」といった「にほひ」とも区別されるものであろう。その点、「にほふ」と類似する「かをる」によって定家が描き出した桜もひとしく、これまた嗅覚的なものではない。〉
「新古今集」
白雲の春はかさねて立田山小倉の峰に花にほふらし(九一) 藤原定家朝臣
〈花の雲といういい方は、もう現代人には陳腐であろう。新古今の中にも同じような着想は見られるが、この場合、花の美しい色どりが「にほふ」という表現をもって、一線を画すように思われる。桜の色どりが花から漂い出でて雲に及び、雲をそめて、白雲と花雲とが二つの映像を作る。/この「にほふ」花が新古今を飾るのである。〉
〈不分明な、個別をくっきりと区別しない総体の中に、新古今の美意識がある。新古今が「にほふ」を多用するのはそのためであり、「にほふ花」の発見者が『新古今集』だったと、いえそうである。〉
〈伊勢という古い歌人から新古今が採集した歌の一つは、
山桜散りてみ雪にまがひなばいづれか花と春に問はなん(一〇七)
であった。私がつねに大切だと考えてきた「まがひ」の歌で、雪と花とがまがうほどだという一首である。別のいい方をすると「まがひ」の中に花も雪もとり込められて、さだかではないというのだから、花は「まがひ」の美の中にある。〉
〈このように桜が恋の色どりを帯びるのも本歌取りのゆえで『新古今集』が一つの方法とする本歌取りは、桜の歌についても、桜の世界を拡大したり、色どりを多彩にしたりする。だから一首の中の桜そのものが朧化(ろうか)することも事実で、前稿で述べた「にほひ」と軌を一にするものでもある。/しかしたんなる朧化ではない。本歌との間に花の重奏を見せるのが本歌取りである。〉
藤原定家と新古今集の美意識について、知りたいので多めに引用した。その魅力が分かった訳ではないが、古典に対する大雑把な把握を少しでも深くしたいと思う。
「義経千本桜」
〈千本桜は美を誇っている。誇りながら、じつは満開の花の美しさそのものが死へと人間をさし招いてやまないふしぎさから、われわれはいつも逃れられないのである。〉満開の桜と死のイメージ。古典から読み取ったものでありつつ、著者の死生観が強く反映されたものだと感じた。
角川書店 1995.4. 定価2300円(本体2233円)